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淺川哲也・竹部歩美
おうふう(出版)

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「歴史的變化から理解する現代日本語文法」

淺川哲也・竹部歩美著 おうふう(出版)

國語について長年抱いてゐた疑問が、目から鱗が落ちるやうに氷解する書であると感嘆しました。
書名に「歴史的變化から理解する」とありますが、たとへば、第11章「現代語の動詞」の後には、第12章「動詞の歴史的な變化」があり、ここでは、上代・中古・中世・近世(江戸)と分けて、動詞の活用の種類を表にしてあります。さらに、近世については、「前期上方語」と「後期江戸語」(なるほど、江戸時代の間に、いはゆる標準語が「京都辯」から「江戸辯」へと變つて來たのでせう)を紹介してゐます。
 語源についての説明も懇切丁寧です。「老いらくの戀」と言ひますが、上代の「老ゆらく」の訛りであり、この「く」は、「曰く」「思はく」の「く」と同じ「ク語形」であり、「老いること」「言ふこと」「思ふこと」の意だつたといふのです。
 感心するのは、例文の出典を丁寧に示してゐることです。古典から採用した文語文については、當然出典を示さなければならないでせうが、通常の文法書では、現代語(口語)の例文は、作者が自分で作つてしまふことが多いものです。ところが、淺川氏は、口語文の場合でも、文學作品から選んで、「中山義秀・厚物咲」などと出典を明かにしてゐます。その丹念な作業ぶりには壓倒されるものがあります。
 私が特に感動を覺えたのは、助詞の解説でした。「係助詞『は』と格助詞『が』の相違」といふ項では、「私は佐藤です」と「私が佐藤です」の二つの文を比較して、「が」の方は、私を強調してゐるといふ納得のできる説明をしてゐます。ついでながら、ここで引用してゐる山田孝雄の文を讀むと、明治時代の國文法がどんなに未熟な段階にあつたかがよく理解できます。また、係り結びがどのやうな經緯で發生し、どのやうな理由で消滅して行つたかが見事に解明されてゐます。
 格助詞「から」は、「うがら・ともがら・はらから・やから」の「から」と同源であり、接續助詞「まで」の語源については、「まだし・惑ふ」説、「諸手・兩手(まで)」説、「目(ま)の手」説があるといふのも興味をそそられます。
 用言の活用では、文語の「已然形」が、口語で「假定形」になつてゐることについて、「確定條件」「假定條件」から解き始め、已然形の語法の變遷に言及してゐます。奈良時代以前には、已然形は接續助詞(「ば」や「ども」)を伴はなくても、單獨で「順接・逆接の確定條件」を表すことが出來たといふことです。また、「はやく歸りさへすれば」(「せば」でなく「すれば」)のやうに、「已然形+ば」が順接の假定條件を表すやうになるのは、後期江戸語になつてからだとのこと。
 本書は、國語ヘ師や國文科の學生には特にお薦めしますが、そればかりでなく、國語に興味を持つ人に廣く讀んでいただきたいと思ひます。現代は「國語の亂れた時代」だと嘆かれてゐます。亂れるに任せてもかまはないといふ人もゐますが、少なくとも、國語がどのやうな現状に晒されてゐるかを考察し、その將來を眞劒に考へる人は、一氣に讀み物として讀破し、あるいは、座右に置いて、辭書のやうに參照してごらんになるなどの様々な利用法があるでせう。
 「よい本を讀んだ」と滿腹感を感じられる名著です。
高田 友