第一四五回國會 内閣委員會(二)

{石垣一夫委員}
○二田委員長
  次に、石垣一夫君。

○石垣委員
  公明黨・改革クラブの石垣一夫でございます。
  私は、本審議に先立ちまして、政府に對して、國會議員として與へられた權限を生かし、質問主意書を出しました。七十數項目にわたつて、日ごろ疑問に思つてゐる點を率直にお聞きしたわけであります。先般その回答をいただいたわけでございますけれども、さういふ回答と關聯して一つづつお聞きしたいのですけれども、時間の關係もございますので、絞つてお聞きしたいと思ひます。
  今日、我が國の國旗・國歌をどう考へるか。これは、ひいては日本國の憲法の評價あるいはまた天皇制の認識に深くかかはつてくる問題であり、國民一人一人が今日まで受けた教育あるいはまた生活環境、人生觀、世界觀、またはそれぞれ持つ主義、信條など、大きく異なる人間性によつて判斷が變はつてまゐります。それだけに、この法案の持つ意義の重要性を考へれば、私は愼重に審議を進めるべきである、このやうに冒頭お願ひしたいと思ふのです。
  そこで、まづ初めに、天皇と君が代との關係についてお伺ひしたいと思ふのですけれども、國旗日の丸、國歌君が代は日本國憲法の何條に根據規定を持つのか。また、天皇制と君が代の關係性についてお伺ひしたいと思ふのです。

○大森(政)政府委員
  まづ、私の方から憲法上の根據は何かといふ點についてお答へいたしたいと思ひます。
  憲法を見渡しましても、直接これが根據であるといふ條文はないやうに思はれます。しかしながら、法律を制定します場合に、憲法に明文の根據がなければ法律は制定できないといふものではないのでなからうかと思ひます。
  御承知のとほり、憲法第四十一條では、國會は唯一の立法機關であるといふふうに定められてゐるところでございまして、この規定に基づきまして、國會が法律を制定されるといふ内容につきましては、法律は廣く國政全般にかかはる事項について定めることが一般的には可能である。國民の權利を制限し、義務を課する事項については當然でございますが、そのほかにも、憲法に違反しない限り、廣く人の行爲とか、あるいは國家の作用とか、あるいは社會の秩序などについて一般的な規範を定めることができる。
  この今審議をお願ひしてゐる法律案、これはその一つでございまして、この法案の内容と申しますのは、現代社會ではいづれの國家も備へてゐるべき國家としての基本的な制度と言へます國旗及び國歌について定めようとするものでございまして、法律の形式においてこれを定めることにつきましては、日本國憲法との關係で何も問題はないといふふうに考へて御審議をいただいてゐるといふことでございます。

○石垣委員
  今法制局長官から、直接の關係はないけれども、四十一條の立法機關の使命でもつてこれを定めることにやぶさかではない、かういふ答辯だつたと思ふのです。
  日本國憲法及び他の法律で直接規定されてはゐない關係が今答辯があつたのですけれども、特に私は、君が代それ自體が、大日本帝國憲法下では、一八八〇年十一月三日、明治十三年、天長節で初演された史實から考へ、また、私が出しました質問主意書二の8、君が代の意味について、政府の答辯で明らかなやうに、現憲法下では、君が代の「君」とは、「日本國及び日本國民統合の象徴である天皇と解釋するのが適當である」と述べてをりますやうに、君が代と天皇との深いかかはりがあることから、君が代は憲法第一條に根據規定があるのではないかと思ふのですけれども、いかがですか。

○大森(政)政府委員
  ただいま御言及いただきました憲法第一條、これは言ふまでもなく、現在の天皇の地位について規定してゐるわけでございます。「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する國民の總意に基く。」といふ規定をしてゐるわけでございまして、この規定が君が代を國歌と定めることの直接の根據といふことにはならないと思ひますけれども、やはり、國歌の内容である「君」について關聯性はあるといふことは言へようかと思ひます。

○石垣委員
  直接憲法第一條に歸着するとは言へないけれども關聯性がある、かういふことなんですね。それでいいのですか、確認。

○大森(政)政府委員
  政府答辯書におきまして、「君」の意味について先ほど御言及なさゐましたやうな答辯をしてをりますことから、ただいま御指摘のやうな意味であるといふことは當然でございます。

○石垣委員
  次に、平成四年四月の十一日、京都地裁の判決で、君が代の内容の適否は司法審査に適合しないとの判決文があります。この裁判は、君が代を録音したカセットテープを小中學校に配附したことが君が代斉唱の強制であるとして爭はれた裁判であります。
  司法審査に適合しないと判決したその理由の一つに、「「君が代」の内容が相當か否かは内心に僭在するシンボルの適否の問題であつて、それは國民個々人の感性と良心による慣習の歸すうにゆだねられるべき性質」である、かういふふうに述べてをるわけであります。つまり、君が代の解釋内容は、司法判斷の適否を超えた問題であるとされてをります。
  この指摘から考へても、君が代の正しい解釋は政府にゆだねるといふ判決だと解釋をされます。「君」とは何か、「が代」は何か。この解釋は、戰前戰後を通じて、天皇制、天皇の地位、あり方論が憲法に照らして問はれてゐるのであります。  私は、天皇と君が代と憲法第一條の天皇の地位との關係性は一體であると考へますが、政府の御見解はいかがですか。

○野中國務大臣
  委員が君が代につきまして質問主意書をまとめられまして、政府としてこれに答辯をいたしました。この答辯は、憲法第一條の規定に沿つて行つたものでございまして、小渕總理が衆議院本會議で行ひました答辯もまたそれをわかりやすく申し上げたのみでございまして、一致してをると思つてをる次第でございます。

○石垣委員
  言葉じりをとらえるのではないのですけれども、官房長官は、憲法第一條に沿つて答辯した、かういふふうにおつしやつたのですけれども、法制局長官は、直接は關係ないけれども關聯性はあるんだ、かういふふうに微妙な食ひ違ひがあるのですね。これは統一見解を出してくださいよ。

○竹島政府委員 法制局長官の御答辯のとほりなんですが、この國旗・國歌法案の憲法上の根據規定はどこだといふことにつきましては、先ほど長官がおつしやつたとほり、具體的に、何條、一條に基づいてこの國旗・國歌法案を御提案申し上げてゐるわけではない、かういふことでございます。
  一方、「君」は象徴天皇を指すといふふうに石垣先生の質問主意書に對して答辯を申し上げました。そのときの象徴天皇は、當然のことながら、憲法第一條に規定されてゐる象徴天皇を意味する、かういふことでございまして、さういふ意味で、憲法第一條と今御指摘の「君」とは何かといふことについては、當然密接な關係がある、かういふことでございます。

○石垣委員
  次に、私の質問主意書の二の9、これについて、「「君が代」歌詞全體の意味について明らかにされたい。」かういふ質問でございますけれども、政府の答辯書では、現憲法下では、「天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國の末永い繁榮と平和を祈念したものと理解することが適當である」と述べてをります。
  ところが、六月二十九日、本會議で總理大臣は、「君」とは、日本國及び日本國民統合の象徴であり、その地位は主權の存する日本國民の總意に基づく天皇を指してをり、君が代とは、日本國民の總意に基づき、天皇を日本及び日本國民統合の象徴とする我が國のことであり、歌詞も、我が國の未來繁榮と平和を祈念したものと理解する、かう述べてをります。
  ここで、かういふ微妙な食ひ違ひがあるのですけれども、これはいかがですか。

○竹島政府委員
  石垣先生の質問主意書の中におきます二の9の「「君が代」(五・七・五・七・七)歌詞全體の意味について明らかにされたい。」といふ御質問に對する政府の答辯は、次のとほりでございます。「日本國憲法の下では、天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國の末永い繁榮と平和を祈念したものと理解することが適當であると考へる。」といふのが政府の答辯書で答辯申し上げたことでございます。
  そのことと、先般の衆議院本會議における總理の御答辯で、「君」につきまして、今御指摘のとほり、國民全體の總意に基づく象徴天皇だといふふうに、天皇の上にさういふ説明のフレーズをつけ加へたといふのは、わかりやすく丁寧に御説明するといふことでございまして、「君」の解釋について石垣先生に答辯申し上げたのとは何ら變はつてゐない。要するに、憲法第一條を踏まへた象徴天皇といふことを、憲法の條文を引用しながら御説明したといふことでございます。
  一方、今のお話の、君が代の歌詞全體の意味については先ほど讀み上げさせていただいたとほりなんでございますが、總理が、君が代の歌詞全體ではなくて、石垣先生の質問書にはなかつた君が代といふその言葉の意味は何だといふことについての御答辯があつたわけでございます。
  ですから、これは變更したわけではなくて、言つてみれば追加したといふことでございますが、そのことにつきましては、君が代とは、特に「代」でございますけれども、これは一般的には時代等時間的な概念であるけれども、それが轉じて國なり國家をあらはす、さういふ意味にも用ゐられてゐるわけでございます。これは、廣辭苑等にもさういふふうにこの言葉についての説明があるわけでございます。
  さういふことでございますので、したがひまして、君が代とは、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國、君が代といふのは今申し上げたさういふ我が國と解釋して差し支へないのではないか、かういふことを本會議で答辯された、かういふことでございまして、變更したといふことではございません。

○石垣委員 國民に親切丁寧に内容を深く説明をした、かういふことなのですね。
  そこで、主權在民である國民とともに歩む天皇であれば、やはりさういふふうに表現を、例へば、君が代全體の解釋として、主權在民である國民とともに歩む象徴天皇、かういふやうに平たく解釋した方が、我が國の末永い繁榮と平和を祈念したものとして國民に理解を得られやすいのではないか、かういふふうに私は思ふのですけれども、いかがですか。

○野中國務大臣
  表現をどのやうにいたしますかは別といたしまして、委員のお考へと變はらないと思つてをります。

○石垣委員
  そこで、君が代全體の解釋は、主權在民である國民とともに歩む象徴天皇と解釋もできるといふ私の主張と官房長官は同意である、今かういふふうにいただいたわけですけれども、この表現について變更する考へはありませんか。

○野中國務大臣
  先ほど來累次申し上げてをりますやうに、憲法との關係で正確に、かつわかりやすく説明することに努めたといふことでございます。

○石垣委員
  そこで、六月三十日附の讀賣新聞の報道によりますと、野中官房長官の統一見解の中に意味不明な言葉があると私は思ふのです。確認のためでございますけれども、發言の中に、「象徴天皇をいただく日本國の末永い繁榮と平和」といふ箇所があります。言葉じりをつかまへるわけではございませんけれども、一行でも、重要な官房長官の發言でございますのでお伺ひいたしますけれども、「天皇をいただく日本國」といふ意味はどういふ意味なのか、その眞意を私は伺ひたいと思ふのです。
  「天皇をいただく」といふ意味は、第三者からいただいたといふ意味だと思ふのですけれども、尊敬の念でいただいたといふ意味、これはわかるのですけれども、第三者の意味についてやはり誤解を招くおそれもある、かう私は思ふのですけれども、いかがですか。

○野中國務大臣 私正確にその報道を承知いたしませんが、第三者からいただいたなどと考へてはをりませんので、そのやうに表現があつたといたしましたら、訂正をさせていただいておきます。

○石垣委員
  いや、第三者とは官房長官は言つてゐないのですよ。だから、「天皇をいただく日本國」、かういふ表現があつたのですよ。讀賣新聞に出てゐます、三十日に。だから、私が推測して、いただくといふことは第三者からといふことが考へられるのではないか、かういふ意味でお尋ねしたわけなんです。いただくといふ眞意がどこにあるのかといふことを聞いてゐるわけです。

○野中國務大臣
  いづれにいたしましても、小渕總理が本會議で御答辯申し上げましたやうに、君が代の「君」は、日本國及び日本國國民統合の象徴であり、その地位が主權の存する日本國民の總意に基づく天皇のことを指すと申してをりまして、さらに、君が代とは、日本國民の總意に基づき、天皇を日本國及び日本國國民統合の象徴とする我が國のことである旨答辯をいたしてをりますので、これを本會議におきます總理の答辯とさせていただき、政府の見解とさせていただゐて、いはゆる質問主意書では、先生から君が代あるいは君が代の「代」の意味に關する質問はございませんでしたので、「君」について政府が御答辯を申し上げたところと相違ふのではなからうかと思つてをる次第であります。

○石垣委員
  ちよつと答辯が食ひ違つてゐるのですけれども、讀賣新聞に記載されてゐる記事の内容について、これは誤解を招くのではないか、かういふことを私は申し上げたのですよ。ちよつと答辯が、私の質問の仕方が惡かつたかもしれませんけれども、ちよつと意味が違ふのではないか、かう私は思ふのですけれども、いかがですか。

○野中國務大臣
  會見場におきまして、記者の質問に答へる私の答辯でございますので、誤解を招き、至らない點があるかもわかりません。その點は私から訂正をさせていただきたいと思ひますが、先ほど來累次申し上げてをる、總理が本會議において答辯いたしましたとほりでございます。

○石垣委員
  では、この記事は誤解である、このやうに私は解釋いたしたいと思ひます。
     〔委員長退席、植竹委員長代理着席〕

○野中國務大臣
  記事が誤解だとは申してをりません。私の表現が適切を缺いたかもわかりません、それがそのやうに報道されたかもわかりませんといふことを申し上げた次第であります。

○石垣委員
  わかりました。了解いたします。
  私の質問主意書の一の8に對し、「政府の新たなる國旗の法制化において國旗を誰が、いつ、どこで、何のために掲揚せよとするのか。また何を義務化させ、何を尊重し、何を自由意思とするのか、その見解を問ふ。」といふことで、ア、イ、ウ、エ、オ、カ、キまで、それぞれ項目を述べてをりますけれども、時間の關係で省略いたしますけれども、政府答辯書では「法制化に當たり、國旗の掲揚等に關し義務附けを行ふやうなことは、考へてゐない。」といふ内容でありますが、立法後はいつでも必要であれば義務づけができ得るといふ意味を含んでゐるのか、法律上は可能であるのか、政府の認識を伺ひたいと思ひます。

○野中國務大臣
  政府といたしましては、法制化に當たりまして、國旗の掲揚等に關しまして、義務づけを行ふやうなことは考へてをりません。 ○石垣委員 法律でいはゆる國旗・國歌と明記されればおのずと違法義務が生ずると考へられますけれども、今提出されてゐる國旗・國歌に違法義務を生ずるおそれはないのか、それをお伺ひしたいと思ひます。

○大森(政)政府委員
  この法律案をごらんいただきますとわかりますやうに、第一條、第二條、これは極めて簡潔な表現になつてをります。一條一項は「國旗は、日章旗とする。」そして二條は「國歌は、君が代とする。」これだけの規定でございまして、この法律が成立したからといつて、國民について國旗・國歌に關する何らかの義務が課されるといふことは一切ございません。

○石垣委員
  私の質問書の三の3に對して、「「國旗掲揚、國歌斉唱」の義務は、憲法十一條(基本的人權)及び十九條(思想・良心の自由)との關係性について法的見解を問ふ。」かういふ質問なんですけれども、「國旗の掲揚等に關し義務附けを行ふやうなことは、考へてゐない。したがつて、現行の運用に變更が生ずることとはならない」と述べてをります。一般の國民に強制しないといふことだと思ふんですけれども、法が制定されて何の根據をもつて強制しないといふのか、伺ひたいと思ふんです。

○大森(政)政府委員
ただいま御指摘になりました質問主意書の質問部分に對する政府の答辯は、御指摘のとほりでございます。先ほど申し上げましたやうに、この法律案が成立いたしましても、國民に一般的に何らかの義務が生ずるといふことにはならないといふことでございまして、さういふ義務が新たに生じない限り、憲法の基本的人權の規定との關係で新たなる問題は生じないといふこと、その趣旨を答辯した次第でございます。

○石垣委員
  法律を制定した場合、何らかの波動が起きると私は思ふんですよ。例へば法律といふ石を池に投げますね、さうするとやはり波紋が起きますね。かういふことから考へていけば、私は法律をつくつて何らの波紋も起きないといふことは考へられないと思ふんですね、それなら法律をつくらなくていいわけですから。
  義務づけをしないといふ、そこで聞きますけれども、ちよつと話がそれますけれども、今回なぜ尊重規定をつくらなかつたのですか。尊重規定を設けなかつた理由について。

○野中國務大臣
  累次申し上げてをりますやうに、國旗・國歌の法制化は、日の丸・君が代が長年の慣行によりそれぞれ國旗・國歌として國民の間に廣く定着をしてゐることを踏まへまして、二十一世紀を迎へることを一つの契機といたしまして、成文法にその根據を明確に規定することがこの際必要であると認識をいたしまして、お願ひをしてをるところでございます。したがひまして、基本的には、法制化によりまして國民生活に何らの變化や義務を生じ、かつ影響を與へるものではないと理解をしてをるところでございます。

○石垣委員
  ところが、小學校、中學校における國旗・國歌に關する取り扱ひの中で、いはゆる學習指導要領でございますけれども、その中で、平成十年の指導要領を見ますと、「我が國の國旗と國歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外國の國旗と國歌も同樣に尊重する態度を育てるやう配慮すること。」これは小學校の指導要領ですね。中學校も同じく「國旗及び國歌の意義竝びにそれらを相互に尊重することが國際的な儀禮であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるやう配慮すること。」きちつと「尊重」と入つてゐるわけですよ。
  子供には尊重しなさいと教へておきながら、大人の我々、それに對して規定がないといふことはどういふことですか、これは一體。

○野中國務大臣
  法律上の義務は負ふわけでありませんけれども、教育上、子供にさういふ教育のありやうについて文部省が指導をするのは當然のことだと思ひます。

○石垣委員
  いやいや、文部省は子供には尊重しなさいと教へながら、國民全體にはこれは何ら、言ふたらフリーなんだ、かういふことでは、私はまさに一貫性がないと思ふんですね。この點、いかがなんですか。私は、むしろ尊重規定をつくれば、國民、青少年も一體として日本全體がこれに對して尊敬の念が深まる、かう思ふんですけれども、いかがですか。

○野中國務大臣
  私が思ひますのに、戰後教育課程の中で、やはり日の丸・君が代は、先ほど來佐々木委員を初めそれぞれ議論がございましたやうに、戰爭中の暗い歴史を引きずつてまゐりました。それだけに、指導要領だけでは根據にならないといふ教育現場での激しい對立がありまして、そして、それぞれ學校行事等におきまして國旗・國歌を掲揚し、斉唱することが論爭の中心になつてきたわけであります。
  それだけに、文部省としては、私は文部省の立場でありませんけれども、教育現場でこれが定着し、教育の中に生かされ、尊重されるやうに教育指導を行ふべきだ、このやうに教育上の配慮としてやつてきたことでございまして、その論爭の中心になつてきた法的根據といふものを今回は明確にすることが必要であつたと私は考へてをる次第であります。

○石垣委員
  では、今回法制化する大きな意味は、政府の答辯では、二十一世紀を迎へるといふ大きなけじめをつける、それからさらに、成文化する、この二つに限定されてをつたのですけれども、けふの先ほどからのやりとりを聞きまして、官房長官、いはゆる廣島の教育問題から發生した、さういふ痛ましい事件を再び起こしてはならないといふ教育上の配慮をバックにこの法制化をした、かう解釋してもいいのですか。

○野中國務大臣
  あへてその動機を尋ねるならば、直接的な動機は廣島の世羅高校の石川校長のあの痛ましい事件にあつたと私は思ふわけでございます。
  ただ、今まで申し上げてをりますやうに、長年慣行としてやつてまゐりました問題について、二十世紀を締めくくるに當たつて、やはり法制化をすることが一番いいことではなからうかといふ判斷の上に立つて内閣として提案をさせていただいた次第でございまして、兒童生徒が國旗及び國歌の意義を理解したりあるいは尊重する心情と態度を育てていきますためにも、その國の國旗・國歌をひとしく敬意を表する態度を育てるといふのは、教育上の當然のことではないかといふやうに思ふわけでございますけれども、それが殘念ながら、この五十年、教育現場の對立になつてきたといふことをぜひ御理解いただきたいと思ふわけでございます。

○石垣委員
  官房長官の意圖するところ、十分私は認識いたします。
  したがつて、今再三答辯ございましたやうに、今回の法制化は教育的配慮を十分配慮した、かういふふうに認識をしてもいいわけですね。

○大森(政)政府委員
  今回の法案が成立した場合の效果に關しまして、先ほど私は、一般的には國民に國旗掲揚とかあるいは國歌斉唱の義務、ひいてはそれに從はなかつた場合の罰則といふやうなものは發生しない、また尊重義務についても法律上の問題としては發生しない、このやうに申し上げたわけでございますが、これは、一般的にこの法律自體からはそのやうな效果が生じないといふことを申し上げたものでございまして、やはりこの法律が制定されますと、すなはち國旗は日章旗とする、國歌は君が代とするといふ内容がこの法律で定まりますと、他の個別法との關係で、ある一定の效果はもちろん生ずるわけで、それは法律效果でございます。
  例へば、現在、船舶法あるいは海上保安廳法、自衞隊法におきまして、國旗を掲揚しなければならない義務規定がございます。その場合の國旗とはいかなる内容のものかといふことにつきましては、この法律成立後は、民間、商船はともかく、また當分の間の特例を設けてをりますが、海上保安廳法とか自衞隊法に言ふ國旗掲揚の場合の國旗といふのは、今般の法律に基づく正式の國旗でなければならないといふことは、當然法律的な拘束としてかかるわけでございまして、さういふ意味で、かういふ共通的、包括的な規定を置くといふことは、他の法規範の意味を補充させ、完結させるといふ意味で法律上の效果はあるといふことでございます。
  なほ、君が代の方につきましては、現在、君が代をどうかうしなければ、國歌をどうかうしなければならないといふ、法律あるいは政令のレベルにおける規定はございません。ただ、先ほどから若干言及をされてをります、文部大臣告示である學習指導要領で指導するものとされてゐる君が代といふものはかういふ歌詞であり、かういふメロディーであるといふことが定まるわけでございまして、そのやうなものを指導するものとされるといふ效果は生ずるわけでございます。
     〔植竹委員長代理退席、委員長着席〕

○石垣委員
  官房長官、しつこいやうですけれども、この法改正の大きな根據として官房長官が心情を吐露されたいはゆる教育的配慮、かう認識していいですね。

○野中國務大臣
  それは動機の一つであるといふやうに御認識をいただきたいと思ふわけでございます。

○石垣委員
  わかりました。これ以上やつても、ちよつとしつこいのでやめます。  そこで、政府は、昭和六十年九月の五日政務次官會議の「國旗掲揚について」、當時の山崎内閣官房副長官の口頭發言を受けて、自治大臣官房長は都道府縣知事に、知事は市町村に、また政令指定市市長に對して、國民各位に對して、特に祝日において、施設等機關及び地方支分部局の建物に國旗を掲揚するやう努められたい、また、周知方、その取り扱ひに遺漏のないやう十分配慮をお願ひするといふお願ひの文章通達が出てをります。ここにありますけれども。
  形式的にはこれはお願ひになつてをりますけれども、多くの自治體の受け方は、例へばポールに國旗を掲揚しなければいはゆる職務怠慢とされるといふ考へもあり、これは義務であると理解してをりますね。  私の質問主意書一の8、國旗の法制化において「誰が、いつ、どこで、何のために掲揚せよとするのか。また何を義務化させ、何を尊重し、何を自由意思とするのか、」といふ問ひに對して、政府の答辯書では、國旗の掲揚等について義務づけを行ふやうなことはしない、かういふことでございます。義務づけしないといふことは、基本的にはいはゆる主催者の自由意思である、かう理解するのですけれども、現場はそのやうに受け取つてゐないわけであります。
  したがつて、これは、主催者のいはゆる自由意思であるといふこの發言と現場の受け取り方は全く違ふ、かういふことでございますから、かういふ通達はこの際廢止をすべきではありませんか。

○竹島政府委員
  お答へを申し上げます。
  昭和三十七年の二月の政務次官會議口頭申し合はせによりまして、各省廳におきましては、國の機關であるといふことのあかしといたしまして國旗の掲揚といふことが申し合はされてをるわけでございますが、同樣の趣旨で、地方公共團體に對しましてもさういふことを依頼してゐるといふ事實がございますが、あくまでも依頼でございますので、それぞれの地方公共團體においてその趣旨を體して、どういふふうに具體的に行動されるかはあくまでも各地方公共團體の御判斷、かういふことでございますので、廢止する必要はないのではないかといふふうに考へてをります。

○石垣委員
  國旗の掲揚等に關して義務づけを行ふやうな考へはないとはつきり言つてをるわけですから、かういふ通達は要らぬわけです。違ふんですか。通達を出す方と受ける方の認識が違ふんですよ、これは。現場では、皆さん方がおつしやつてゐるやうなことになつてゐないわけです。係官は職務怠慢でやられるんです。ここに大きな問題があるわけです。
  したがつて、今回、政府が明らかに義務づけしないと言つてをるんですから、この際はつきり通達を出すべきですよ。

○野中國務大臣
  これは、先ほど内閣内政審議室長が申し上げましたやうに、三十七年の政務次官の口頭申し合はせによりまして、官廳として國旗を掲揚する趣旨を、公務を執行してゐる時間帶は國家機關である標章として掲揚することにあるものと考へてやつたものでございます。  したがひまして、六十年の九月の政務次官會議におきますこの趣旨を徹底しますとともに、地方公共團體や所管の團體等についても祝日に國旗を掲揚することの御協力をお願ひするといふことでございまして、これを義務づけたり強要したりしたものではございませんので、御了承をいただきたいと思ふわけでございます。

○石垣委員
  いや、政府の立場からいけばさうおつしやるんですけれども、通達を受けてゐる地方自治體としては全く逆の立場にあるんですよ。これはやはり、まさに上意下達の今までの中央集權的な政治の流れで、たまたま今回、明らかに地方分權といふ大きな政治の流れができましたから、地方自治體獨自の判斷は強く出てくると私は思ふんです。しかし、現時點では、現場ではかういふことに關して、通達の重みをやはり現場の自治體は非常に重く感じてゐるわけなんです。さういふことであれば、この際、改めて私たちは義務化しないといふことをもう一遍通達を出すべきと違ひますか。

○野中國務大臣
  これが法律として成立をいたしました際には、過去に行つてまゐりました御協力方につきまして、その眞意を御説明申し上げる機會は設けたいと思つてをります。

○石垣委員
  現時點ではこれを、さういふいろいろの義務化をしない、かういふふうにおつしやつてゐるのですけれども、義務化をしない、さういふ判斷は政治判斷なんですか。いかがですか。

○野中國務大臣
  政策判斷であります。

○石垣委員
  では、政策判斷、かうおつしやつたのですけれども、政府は今回、國民にさういふ義務化、強制化しないといふ限り、政府は國民に對して、私は何らかのやはり擔保を與へなければいかぬ、かう思ふのですよ。だから、やはりこれは、政府聲明であるとか何らかの形で、この法律が成立した曉にはさういふ保證を出さなければいかぬと思ふのですが、いかがですか。

○竹島政府委員
  國旗・國歌についての一般國民に對する、啓蒙といふ言葉はいかがかと思ひますけれども、普及とか啓發とかさういつたことにつきましては、この法律を成立させていただいた場合には、總理府等が中心になりまして、さういふ情報提供といひますか、普及についての努力はさせていただきたいと思ひます。

○石垣委員
  だから、私が今ずつとお尋ねいたしましたけれども、やはりこれは、尊重規定が盛り込まれておればかういふことは要らぬわけです。そこで、私は改めて尊重規定のことを申し上げたのですけれども、今はその時期ではない、かういふ判斷ですから、それはそれとして了解いたします。
  次に、教育と内心の關係性についてお伺ひしたいのですけれども、一般的に、内心を深めてこそ教育の意義があると思ふのですけれども、私の質問主意書に對して、政府答辯書三の4では、兒童權利條約十四條または憲法の十九條で言ふ思想、良心の自由に關し、一般に内心について、國家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないといふ絶對的保障の點から回答が出てをります。
  そこで、お伺ひしたいことは、政府は、いはゆる兒童生徒に關し内心に立ち入らないといふのは、具體的にどういふ事態をいふのか、また、立ち入るとは何か、立ち入つた事態とはどういふ事象をいふのか。具體的な例で説明してください。

○辻村政府委員
  一般に、内心、つまり物の見方あるいは考へ方でございますけれども、これについて、國家はこれを制限するあるいは禁止するといふことが許されないとされてゐるわけでございます。
  學校教育は、人格の完成を目指しましてさまざまな指導が行はれるわけでございます。學校教育法等に基づきまして行はれるわけでございまして、その指導の過程におきましては、子供たちの價値形成といふことにかかはるわけでございます。しかし、内心に立ち入らないといふのは、指導を受けました子供たちが、指導を受けた後に、それぞれ指導された内容についてどのやうに判斷をするのか、それについてどのやうに考へるのか、このことについてまで國家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりする、このことは許されないといふふうに理解をいたしてをります。
  そこで、具體的な例といふことでございますけれども、いろいろな事例があらうかと思ひますが、例へば國歌の例について申しますれば、いろいろな指導を受けた後、しかし、やはり自分としては歌ひたくないといふやうな兒童がゐる場合に、無理強ひしてこれを斉唱させるといふやうなことになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないといふことにかかはつてくるのではないか、こんなふうに理解をいたしてをります。

○石垣委員
  政府は今一つの例を擧げられましたけれども、内心に立ち入らないといふ以上は、その基準または尺度、これがなければあいまいになると私は思ふのですね。特に、現場の教師が自分の考へ方で、これは内心に入つてゐるのか入つてゐないのか、その判斷基準が非常に私は難しいと思ふのです。したがつて、いろいろやはりそこで物議を釀す、かういふことを考へていけば、いはゆる内心に入らないといふ基準、尺度をやはりはつきりとつくるべきぢやないか、かう思ふのですが、いかがですか。

○辻村政府委員
  學校教育は公教育でございまして、教師個々の恣意的な指導がそこで行はれてはならない、當然であらうと思ひます。そこで、私ども、學校教育法に基づきまして、教育課程の基準といたしましての學習指導要領の作成に當たりましては、さまざまな議論を踏まへながら檢討をし、それを教育課程の基準として告示をしてゐるわけでございます。
  それに沿つて教師が指導をするわけでございますが、ただ、この指導、價値形成にかかはる指導といふことはさまざまな教育活動の多岐にわたつて出てくるわけでございまして、子供たちがその指導を受けた後どう考へるかといふその判斷、それが内心に立ち入るか立ち入らないかといふことの判斷になるわけでございますが、非常に個別的な事案、個別個別で判斷をしていかなければならないことだらうと思ひます。
  したがひまして、一般的に、先ほど言ひましたやうな公教育としての教育課程の基準たる學習指導要領、あるいは教育基本法、學校教育法等に從つて學校教育が展開される、さうした基準をさらに個別にいたしましてこの基準、尺度といつたものを示すといふことがなかなか難しいといふことだけは御理解いただきたいと思ひます。
  ただ、いづれにいたしましても、この内心に立ち入らない、内心に立ち入つて強制しないといふことの意義、これは大變重要なことでございますので、私ども、學校教育の場におきましてその趣旨等につきましては十分なコンセンサスを深める、かうした努力はしてまゐりたい、かう思ひます。

○石垣委員
  そこで、具體的に聞きますけれども、一つの例として聞くのですけれども、國旗はたふとい、當然これはもう國旗に對して尊敬の念を拂いなさい、かういふ指導は内心に立ち入るのか立ち入らないのか。さらに、これを何回も何回も教へる、かういふことはいかがか。それからもう一點は、例へば君が代の斉唱に對して、生徒一同起立して、そして斉唱する。これを、起立しない子もあると思ふのですね。さういふ場合に、これは起立しなさい、かういふ指導は内心に入るのか入らないのか。

○辻村政府委員
  教師の指導といふことと、これが學校の場合には價値形成にかかはりますので、内心に立ち入るか立ち入らないかといふ點は、個別になりますとなかなか判斷の難しいところもございますが、まづ第一の、國旗がたふといもので、これに敬禮するやうに指導をするといふこと、そのこと自體は内心に立ち入るものではないと考へてをります。國旗につきましては、自國の國旗のみならず諸外國の國旗について、お互いにこれを尊敬し合ひ、尊重し合ふといふことは、國際的なマナーとして定着してゐるといふふうに考へます。さうした一般化された事項でございますので、これを子供たちに教へることは指導であつて、したがつて内心に立ち入るといふことではないと考へます。
  それから、ただ第二の點で、繰り返し繰り返しこれを教へられる。これも程度の問題だらうと思ひます。先ほどの一定の限度を超えて無理強ひし強制する、そして子供たちの判斷、考へ方にまでこれを踏み込むとなりますと、そこにかかはりが出てくるといふこともあり得るだらうと思ひます。しかし、丁寧に教師が指導するといふことは許されることであらうと思つてをります。
  それから三番目でございますが、生徒たちに國歌君が代斉唱の際に起立を命ずるといふこと、これは、國歌が斉唱される際に起立してこれに對して敬意を拂ふといふことは、これも國際的マナーとして定着してゐることであらうと思ひます。そのことを指導の一環として行ふこと、これは内心に立ち入るものではない。指導の一環として妥當なものとしてあるといふふうに考へてをります。

○石垣委員
  結局は、内心の自由とは何かといふ具體的な例をずつと擧げていつても、今おつしやつてゐるやうに一定の限度を超えてといふ判斷と丁寧に教へるといふ判斷、この基準が非常に難しいのですね、現場においては。このやうにやはり難しい問題ですから、現場でいろいろ混亂が起きると思ふのです。
  そこで、かういふ教育現場におけるさういふ事態について、一つ一つの例を校長に任せるのではなくして、やはり國旗・國歌についてのいはゆるガイドラインをきちつとこの際つくるべきではないか、かう思ふのですが、いかがですか。

○辻村政府委員
  先ほどから申し上げてをりますやうに、内心の自由にこれは踏み込むか踏み込まないかといふことと指導の關係といふのは、なかなか微妙な問題がございまして、國がまた一律にガイドラインといふやうな形で示すことは大變難しいことだらうと思ひます。
  ただ、非常に重要なことでございますので、基本的には、子供たちの指導とそれから内心の自由といふものを、學校において混亂しないやうにといふ趣旨だと思ひますので、國會での御議論等を踏まへながら、私どもとして檢討してみたいと思ひます。ただ、一律にこれを示すといふことが大變難しいこと、これだけは御理解いただければと思ひます。

○石垣委員
  けふは文部大臣がをられませんので大臣の意見は聞かれないのですけれども、國旗・國歌の法案の責任者として、官房長官、學校教育の現場におけるいろいろなトラブル、かういふことについてはこれからも當然私は豫想されると思ふのです。したがつて、學校教育における指導要領の徹底においても、内心の問題との關聯性において、やはりきちつと政府としては方針を出すべきだと思ふのですが、いかがでせうか。

○野中國務大臣 我が國憲法の精神にのつとりまして、人格の形成や個人の價値の尊重といふ基本的な目的のもとに行はれてをる現代教育は非常に重要でございまして、これからも大切にやつていかなくてはならないと思ひますとともに、國旗・國歌の指導におきましても、このやうな考へ方に立つて、國際社會で生きる日本人としての基礎的、基本的事項として指導をされていくことを期待するものでございます。

○石垣委員
  終はります。

{藤村修委員}
○二田委員長
  次に、藤村修君。

○藤村委員
  民主黨の藤村修でございます。  議題になつてをります國旗・國歌法案につきまして、三十分の時間で質問をさせていただきます。  もう何度かお答へをいただいてゐるし、何度もお答へを聞いてはをりますものの、なぜ今この時期に國旗・國歌法案をこの國會に提出してきたのかといふことがやはりまだ説明不足ではないかなと思ひます。
  先ほどお伺ひしてをりますと、これは野中官房長官の私的な御意見なのかどうかですが、やはり教育の分野でいろいろな混亂が生じてゐる、あるいは、二月二十八日の廣島縣世羅高校校長先生の話も飛び出してをりました。やはりさういふことが動機であるといふふうにおつしやゐましたが、なぜ法制化、それも今この時期に國旗・國歌法案を國會に提出されたのかといふことを、この邊、整理をして改めてお答へを願ひたいと思ひます。

○野中國務大臣
  先ほど來御答辯申し上げてをりますやうに、日の丸・君が代が、長年の慣行によりまして、それぞれ國旗・國歌といたしまして國民の間に廣く定着をしてゐることを踏まへまして、二十一世紀を迎へることを一つの契機といたしまして、成文法にその根據を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに法制化を圖ることといたしたわけでございます。
  今委員からも御指摘がございましたけれども、去る二月に廣島縣で國旗・國歌の指導に大變御盡力をいただいてをつた縣立世羅高校の石川校長先生がみづからこの過程の中で命を絶たれるといふ痛ましい事件が起こりまして、國旗・國歌のあり方について、國民の間に定着してゐることだけに、十分とはまだ言へないといふことが、法制化を檢討する一つの契機となつたことはそのとほりでございます。

○藤村委員
  ですから、先ほど來の議論もさうですが、この法案自體には法的な波及效果、石垣委員に言はせると、石を投げたら波紋が生じるといふものについて、そんなに説明がよくわからなかつたのですが、ただ、割にはつきりしてゐることは、教育界における國旗・國歌、日の丸・君が代問題といふものが、過去、ある意味では、法的根據はない國旗日の丸、國歌君が代を學習指導要領で、これは法的根據ですから、それでやつてきたことに若干のちゆうちよがあるといふか、やはりこれが問題であつたのかなといふのも動機の一つであつたといふふうに今お伺ひしたやうに思ひます。
  廣島縣の件、餘りたくさんは觸れませんが、實は、廣島縣の教育委員會が、これは次の解釋問題について、二月の時點で、實は縣教育委員會としてちよつと解釋をしてゐるわけです。「「君が代」の指導にあたつては、その歌詞の意味は日本國憲法の枠組みの中で解釋されるべきものである」こと、それからもう一つ、「日本國憲法の下での「君が代」は、國民統合の象徴である天皇を持つ我が國が繁榮するやうにとの願ひを込めた歌であると解釋すべきものである。」といふふうに、縣教育委員會が實はそのお話の中で、これを解釋として出されたのです。
  さらに、先日は、先ほどの石垣委員の質問主意書に基づいた政府見解といふもので、これは簡略化して言ふと、君といふのは象徴天皇と解釋するのが適當といふお答へであつたと思ひます。そしてさらに、これは先日の小渕總理のお答へで、君が代は、日本國民の總意に基づき、天皇を日本國及び日本國民の統合の象徴とする我が國のことといふふうに、これらは相當共通してゐて、大體は理解できるのですが、それぞれ若干違ふので、もう一度この時點で、先ほど來もありましたので、この君が代といふことについての政府見解をお伺ひしたいと思ひます。

○竹島政府委員
  君が代のうちの「君」につきましては、今御質問の中で御指摘のとほり、象徴天皇を指すといふ見解でございます。君が代につきましては、今委員お讀みになりましたとほり、「代」といふのは一般的には時間的概念であるけれども、轉じて國をあらはすといふ意味にも使はれてゐるといふことを踏まへまして、君が代のことを我が國といふふうに解釋するのが適當ではないか、かういふことを總理が答辯されてゐるといふことでございまして、二つ何か別なことを、あくまでも「君」についての説明であり君が代についての説明といふことで、二つは違ひますけれども、そこに何か矛盾してゐるといふふうには考へてをりません。

○藤村委員
  私は論理的矛盾をついてゐるのではなくて、これはつまり學習指導要領に基づいて小學校の生徒なり中學校の生徒に社會科の段階で教へるわけです。  ここで大事なことは、國旗、旗は、これは見る人見る人のそれぞれの感覺で判斷をすればいいのです。意味がございません、その意味では。しかし、國歌、歌は歌詞があります。歌詞は日本語でございます。日本語には意味があります。だから、生徒たちに、これは當然教へるのですね、教へるからにはどういふふうに教へるかといふことは、この今の政府の正式な見解、今のもちよつと二つわからなかつたのですが、君が代は、我が國といふのと、それから、もつと長い、「君」がまづ象徴天皇であつたり、「代」は時代の「代」であつたり、それから「國」であつたりといふ、二通りあるので、ここをきつちりと一つにまとめた上で、それは言葉が難しいので今度は小學校にはどう教へるかといふことは後から聞きたいのですが、まづそこをちよつともう一度ちやんと話してください。

○竹島政府委員
  大事なことは、君が代の歌詞、これは何を意味してゐるのかといふことだと思ひます。
  答辯申し上げるのは、すりかへる意味ではございませんが、大事なことは、君が代とは何を意味した歌詞なのかといふことだと思ひますが、それにつきましては、先般の石垣委員に對する答辯書で申し上げましたとほり、天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國の末永い繁榮と平和を祈念したものである、さういふことを意味した歌詞である、かういふことでございます。  ですから、學校におきましても、君が代の意味は何かといふと、日本國及び日本國民、象徴天皇だけではなくて、象徴天皇が象徴されるその母體である日本國及び日本國民、これの末永い繁榮と平和を祈念する歌である、かういふふうに指導がされるべきだと考へてをります。

○藤村委員
  さうしますと、初等中等教育局長に來ていただいてゐるので、では小學生には、今の解釋を受けてどういふふうに指導したらいいのでせうか。

○辻村政府委員 具體的な個別の指導につきましては、各學校の教師たちにゆだねられるわけでございますが、私どもが學習指導要領の解説書等で、各學校に、指導に當たつてかういふことはといふことで指導助言として行つてをりますのは、先ほども答辯がございましたが、國歌君が代は、日本國憲法において、天皇及び日本國竝びに日本國民統合の象徴とする我が國がいつまでも繁榮するやうにとの願ひを込めた歌であることといふその趣旨を私どもは示してをるのにとどまつてをりまして、あと具體的に、個々の子供たちに向かつて先生がどんな形でこの意味をわからせるかといふことにつきましては、教師の專門性にゆだねてゐるといふことでございます。

○藤村委員
  これは、もう一度後で伺ひます。
  今かうして法定化するといふことは、歌詞が法律の中にちやんと書かれてをりますので、歌詞は、先ほども申しましたやうに、日本語で書いてあつて、意味があることですから、これは古文の理解のやうな、本當に正しい理解の仕方は、これは各教師に任されたことではないと思ひますので、よく考へておいてください。後で聞きますけれども。
  そこで、私は、官房長官にお尋ねをしたいと思ひます。
  國旗としての日の丸、そして國歌としての君が代が定着してゐることと認識してをります。そしてそれは、官房長官も多分本會議でも何度もお答へになつたやうに、昭和四十九年の十二月の總理府の世論調査が出てをりました。あるいは、それ以降、最近話題が出たときにも、種々のマスコミの世論調査などからもさういふことがうかがへる。さらに、私自身、代議士として地元を回つて、けふまでの活動の中でも、さういふ感覺といふのは間違つてゐない、そのやうに思ひます。
  ところが、國會の答辯でされた四十九年の總理府調査においても、このときに、確かに君が代・日の丸なのですが、法制化についてといふ質問については、これは數字は申しませんが、總理府調査では、法制化は大多數消極的といふ記述もございます。これは昭和四十九年ですが、法制化はその時點では大多數消極的であつたといふことであります。
  あるいは、先般、これは一つのマスコミだけで申しますと、NHKの調査でも、君が代が國歌としてふさはしいと思ふ、七二%。それから、國旗に日の丸はもつと多くて八九%、ふさはしいと思ふ。ただし、法制化についてと聞いてゐる質問では、法律で定める方がよいが四七%、定めない方がよいが三三%。ここは半數にも滿たないわけですから。そこで、だから、定着してゐるといふことと、それから法制化するといふことの關係は一體どういふふうに理解されたのでせうか。

○野中國務大臣
  私どもといたしましては、委員が御指摘になりましたやうに、長年の慣行といたしまして、それぞれ、國民の間に廣く定着をしてゐるわけでございますけれども、この新憲法ができまして以來五十數年の我が國の經過を振り返りますときに、やはり二十一世紀を迎へることを一つの契機として、成文法による根據を明確に規定することが必要であるといふ認識をいたして、法制化をお願ひ申し上げてをるところでございます。
  法律といふ形式で規定することによりまして、國旗が日章旗であり、かつ國歌が君が代であるといふことが極めて明確になるといふことを考へてをる次第でございます。

○藤村委員
  その動機としては、さういふ教育現場の問題であつたり、高校長の自殺であつたりしたことが動機の一つでもあつた、さういふふうに今お伺ひしたわけであります。
  實は、教育現場では、これも學習指導要領の中での國語といふ言葉が出てきます。實は、この國語は何語かといふことが日本では法定化されてをりません。國語は日本語であると定着はしてをります。しかし、國語は法定化されてゐないから、それを日本語と書いてゐる教育委員會の中の學校なんかもあるわけです。つまり、國語は日本語であるといふことは、その際、これは一緒に法制化した方がいいんぢやないかと私は思ふのですが、さういふ發想はなかつたのでせうか。

○近藤(信)政府委員
  お答へをいたします。
  委員御指摘のやうに、國語は、普通には日本語の意味で使はれてをるわけでありますけれども、ある國家の共通語または公用語として用ゐられてゐる言語といふ意味もあるものと承知をいたしてをります。
  特に、國語は日本語であると規定した法律はないものと承知をいたしてをりますけれども、例へば文部省設置法では、文部省の所掌事務として、國語の改善、あるいは刑事訴訟法でも國語といふやうな言葉が出てまゐりますが、これはいづれも日本語を意味してゐるものと認識をしてゐるところでございます。
  いづれにいたしましても、日本語は日本國内で普遍的に使用されてゐる實態にかんがみまして、我が國の國語は何かと言はれれば、それは日本語である、このやうに認識をいたしてゐるところでございます。

○藤村委員
  つまり、定着して、これはもう一〇〇%に近い定着率で、あるいは、國語を日本語とすることにおいての教育委員會での問題はなかつたわけです。國旗が日の丸、國歌が君が代、これはけふまで大分問題があつたわけです。だから、やはり理由はそこにあるんぢやないですか、官房長官、いかがでせうか。

○野中國務大臣
 お説のとほりだと思ひます。

○藤村委員
  すんなりと認めていただきますと、次を追及できないのですけれども。
  ですから、私は、教育現場における今回の立法といふのは大變效果があるといふか、それなりの影響力も大きいといふことを申し上げた上で、教育現場のことについてお伺ひしたいと思ひます。
  今の官房長官のお答へで大體決まつてゐるのかもしれませんが、まづ文部省の方に聞きます。  この法制化によりまして、今後、學習指導要領における國旗とか國歌といふものが、いはば法的根據ができた、はつきりした、かういふふうに言つてよろしいのですね。

○辻村政府委員
  法制化によりまして、成文法といふ根據がより明確になるものといふふうに考へてをります。

○藤村委員
  ちよつと具體的に申しますと、例へば、學習指導要領における國旗及び國歌に關する取り扱ひの經緯、これもずつと順に、石垣委員の質問主意書にも答へていただいてをりました。小學校あるいは中學校、高校、それぞれございます。
  それで、特別活動といふ部分、これが學校行事等であらうかと思ひますけれども、ここで、ちよつと過去の流れを見てゐて、うんと不思議に思ふ點がありますのは、昭和五十二年までの指導要領といふのは、特別活動で、「國旗を掲揚し、「君が代」を齊唱させることが望ましい。」とありました。それ以降、次は平成元年に學習指導要領を出してをりますが、ここでは、「國旗を掲揚するとともに、國歌を斉唱するやう指導するものとする。」五十二年までの記述は「望ましい。」平成元年からは「指導するものとする。」ここが相當大きな變化で、かつ、ここが今現場で非常に苦勞されてゐる部分だと思ふのです。
  まづ、なぜかういふ大きな變化を文部省の學習指導要領でされたのか、その背景は一體何ですかといふこと。それから、もう一つ續けて聞いておきますと、昭和五十二年までは、ここに實は「「君が代」を齊唱させる」とあつたのですね。平成元年からは「國歌を斉唱するやう」とわざわざこれ、變へてゐるのですね。これの意味は一體何かといふことをお尋ねしたいと思ひます。

○辻村政府委員
  まづ第一の點でございますが、確かに學習指導要領は、昭和三十三年に初めて告示といふ形をとりましたが、それ以降何回かの改訂はございましたが、五十二年の告示まで、先生今紹介されましたやうに「望ましい。」かういふふうになつてございました。
  これは、三十三年の告示に當たりましては、その前に通達をもちまして、當時の天野文部大臣の談話を受けまして、國歌を斉唱することも望ましいと考へますといつた、それを受けましての規定として、告示として「望ましい。」といふ文言を使つたわけでございますが、この「望ましい。」といふ學習指導要領の規定をめぐりましては、その後、入學式やあるいは卒業式等におきまして、國旗掲揚、國歌斉唱を各學校の判斷にゆだねるといふことで、學習指導要領といふ教育課程の基準としていかがかといつたこと、そして、かつ國旗・國歌の斉唱、掲揚についてさまざまな意見がございまして、入學式、卒業式等におきまして、この扱ひをめぐりまして幾つかの學校でいはゆるトラブルといつたやうなものも生じたわけでございます。
  そこで、教育課程の基準でございます學習指導要領の規定といたしましては、「國旗を掲揚するとともに、國歌を斉唱するやう指導するものとする。」といふやうな明確化を圖つたといふことでございます。
  それから、第二點目でございますけれども、同じく昭和五十二年の告示までは「君が代」といふふうな表現を使つてございまして、「國歌」といふ記述はそれまではしてございませんでした。これは、若干技術的になりますが、「君が代」につきましては、樂曲名を書く、樂曲名としての君が代といふものを規定するといふ形で「君が代」としてございましたが、國旗の方は「國旗」となつてございましたので、この改訂に合はせまして「國旗」「國歌」といふ形で表現をそろえて、以後今日に至つてゐる、かういふ經緯でございます。

○藤村委員
  ですから、一番目の件は、五十二年以降、トラブルもあつた、あるいはさういふ聲も出てきた、だからもうちよつと明確化しなさいといふいはば世論なり國會議論があつた、かういふ理解でよろしいのですね。
  それから、二番目がよくわからなかつたのですが、君が代の樂曲を言つてゐるのぢやなしに、むしろ、片や「國旗」と言つてゐるから「國歌」とそろえたといふ、それぐらいのことなんですか。
  もう一つは、私なんかは、實は昭和五十二年より以前、四十三年より以前、あるいは三十三年の社會とか音樂の學習指導要領によつて小學校へ行つたやうな世代ではございますが、音樂を見るときには、平成元年までは「「君が代」は、各學年を通じ、兒童の發達段階に即して指導する」とあつたのですが、一番新しい平成十年には「「君が代」は、いづれの學年においても指導する」と變更されてゐます。
  私自身は、音樂においては小學校の割に低學年の方から習つたやうな記憶が何となくあるし、あるいは自分で彈く、演奏するといふ、レ、ド、レ、ミ何とかとかいふ、これも何か頭に殘つてゐますので、かつての方が割に早い時期からその指導があつて、音樂ではちやんと君が代といふのを教はつたやうな氣がするのですが、平成十年には、「いづれの學年においても指導する」といふのは大分意味が違ふのですが、この違ひといふのは一體どういふ理由でせうか。

○辻村政府委員
  これまでの學習指導要領上の規定は、「「君が代」は、各學年を通じ、兒童の發達段階に即して指導する」かうなつてございました。これを今回は「「君が代」は、いづれの學年においても指導すること。」といふことで、「兒童の發達段階に即して」といふ文言を削除したといふことでございます。各學年を通じまして指導するといふことにつきましては、變はつてございません。
  「兒童の發達段階に即して」といふ文言を整理いたしましたのは、ほかの教科との竝びもあるわけでございますが、兒童の發達段階に即してといふのは、ある意味では教育の考へ方として當然のことではないかといふことでございます。それ以外に、算數あるいはその他の教科におきましても、かうした、發達状況に應じてですとかあるいは發達段階を考慮してとかといふ文言が隨所にございましたが、それは一括して、指導上の問題であるからこの際文言を整理するといふことで、それは指導マターとして別途のところで整理して、まとめて總括的に記述するといふやうな整理がございまして、このやうな規定にいたしたわけでございます。  したがひまして、「各學年を通じ、」を「いづれの學年においても」と變へてございますけれども、その中身につきましては、私ども變更したといふやうな考へは持つてゐないところでございます。

○藤村委員
  これは今、一つ二つの具體例でありますが、この際、ですから、これが法定化されるといふことになれば、學習指導要領のこの部分、國旗及び國歌に關する取り扱ひといふところの部分といふのは、改めて見直すことになるのではないかなと思ふんですね。つまり、さつきちよつと言つてをりました、君が代といふのは意味のある古今和歌集の歌ですから、これはちやんと教へないといけないでせう。意味を間違つてはいけないと思ひます。それは、學校の各先生にお任せするわけではないと思ひますので、その邊も含めた學習指導要領のこの部分の變更といふのはどういふふうにお考へなんでせうか。

○辻村政府委員
  學習指導要領におきましては、國旗・國歌に對する正しい理解を圖るといふ文言があるわけでございます。今回の法案は、慣習としてありますものを成文法として明確に位置づけるといふことでございまして、その根據の明確化が圖られるわけでございますが、國旗・國歌としての學校における扱ひといふものは變はるものではないと考へてございますので、學習指導要領を變へなければいけないといふやうなことは今考へてゐないところでございます。

○藤村委員
  私、ちよつと説明が足りなかつたです。國旗・國歌に關する取り扱ひは確かにそのとほりであらうかと思ひます。
  しかし、これは、だから國語の問題の中で、あるいは社會なんでせうか、例へば、第六學年で「内容の取扱ひ」といふことで、「我が國や諸外國の國旗に對する關心やこれを尊重する態度を育てるやうに配慮する必要がある。」これは禮儀、マナーの問題かもしれませんが、社會ではなしに國語かもしれませんが、國歌となれば、君が代といふこの歌はかういふ歌でありますといふのが、これは文部省でなしに總理大臣が本當にある意味では解説してもいいのですが、いはば統一的見解、それも、小學校なら小學校に對してはかういふふうに教へます、中學校の人なら中學校にはかういふふうに解釋を教へますといふことは必要ではないですか。

○辻村政府委員
  學校教育におきまして、國旗・國歌についてどのやうな指導を行つてゐるかといふことでございますが、私ども、これは指導要領を解説いたしました指導要領解説におきまして明記してあるわけでございます。それは、國旗・國歌はいづれの國も持つてゐること、それから、國旗・國歌はいづれの國でもその國の象徴として大切にされてをり、互いに尊重し合ふことが必要であること、三つ目として、我が國の國旗・國歌は、長年の慣行により、日の丸が國旗であり君が代が國歌であることが廣く國民の認識として定着してゐること、そして四番目として、先ほど言ひました國歌の趣旨が書いてございまして、さうしたものを子供たちに指導するやうにといふふうになつてゐるわけでございます。
  ここで、長年の慣行により日の丸が國旗であり君が代が國歌であるといふやうなところは、今回のこの法律の扱ひによりましては見直しをするといふことが必要になつてくるかもわかりません。しかし、基本的な、國旗・國歌といふものを學校教育においてどう取り扱ふかといふ學習指導要領レベルの問題におきましては、これはこれを變へる必要はないのではないか、こんなふうに考へてゐるわけでございます。

○藤村委員
  今の、四番目にと言つて解説してありますと言つたその解説の中身はまた後ほどいただくとして、そこがやはりちやんと、これは、法律に定めた歌詞の意味の解説といふものは、文部省なら文部省がきつちりと出さないと、これは現場の先生にかういふふうに解釋してもいい、かういふふうに解釋してもいい、これがいろいろ問題がまた生じる原因になるんぢやないかと私は思ひます。
  もう時間がございません。教育問題で、いろいろまだほかにはあるわけですが、最後に、官房長官には、法制化するならとにかくできる限りの國民的合意形成を圖るべきであると思ひますし、その努力が今のこの委員會であつたり公聽會をするといふことも一つでもあらうかと思ひますが、さらに政府として今後どのやうに努力していかれるのか、お伺ひしたいと思ひます。

○野中國務大臣
  これから政府といたしましては、このやうな國民の意識を背景にいたしまして、法制化をお願ひすることができました上には、今國權の最高機關たる國會において御論議をいただく事柄でございますが、今後とも、この法案が成立をいたしました上には、國旗・國歌の普及啓發に鋭意努めてまゐりたいと考へてをるところでございます。

○藤村委員
  けふが入り口でございますので、さらに議論を積み重ねるやう同僚委員の皆樣にもお願ひを申し上げまして、終はらせていただきます。ありがたうございました。

{穀田惠二委員}
○二田委員長
  次に、穀田惠二君。

○穀田委員 日本共産黨の穀田惠二です。
私ども日本共産黨は、國旗・國歌の問題は國民にとつて大事な問題だから、國民的討論を行ふべきであつて、國民的議論を拔きに國會の數の多數を背景に短兵急に決めてはならぬといふ考へ方を持つてゐます。政府は、本延長國會において、日の丸・君が代を國旗・國歌とする法制化を押しつけようとしてゐることは、この國民的議論を問答無用で抑へつけるものだと考へます。
國旗・國歌は、もともと國が公の場で國をあらはすシンボルとして使ふものであつて、したがつて、國民に義務づけるものであつてはならないし、學校行事として強要すべきでないといふことは言ふまでもありません。ですから、我が黨は、日の丸・君が代が日本國憲法を土臺とした今日の日本の國旗・國歌としてふさはしくない、さういふ立場から、法制化には反對です。

 そこで、君が代についてまづ質問をしたいと思ふんです。

 君が代といふのは、今もお話ししましたやうに、私どもとしては國歌にはふさはしくないと考へてゐます。なぜかといひますと、君が代が、戰前、政府によつて、天皇の治める時代がいつまでも續くやうにといふ歌だといつて國民に押しつけられたものだからです。そして戰後、新しい憲法のもと、天皇主權から主權在民の世の中になつたにもかかはらず、全く同じ歌が、歌詞が、そして曲が同じものが、解釋を變へたといふことであたかも憲法の國民主權の原則と兩立するかのやうに扱ふことは許されないと判斷するからです。

 そこで、まづ、君が代がどういふ役割を果たしてきたのかについてお聞きしたいと思ひます。戰前の君が代の意味を再確認したいと思ひます。

 野中長官、小渕首相は、「君」については、大日本帝國憲法の精神を踏まへ、君が代の「君」は日本を統治する天皇の意味で用ゐられてまゐりましたと答辯してゐますが、あなたも同じ理解ですね。
     〔委員長退席、小此木委員長代理着席〕

○野中國務大臣
  戰後、我が國憲法が制定をされまして、天皇の地位も戰前とは變はつたことから、日本國憲法下におきまして、國歌君が代の「君」とは日本國及び日本國民統合の象徴であり、その地位が主權の存する日本國民の總意に基づく天皇のことを指してをると認識をしてをります。

○穀田委員
  今私がお聞きしたのは、戰前の君が代の意味を再確認したい、小渕總理大臣が述べたことをわざわざ引用しまして、それと同じですねとお聞きしたのですが、もう一度お答へください。

○野中國務大臣
  古歌君が代が明治時代に國歌として歌はれるやうになりましてから、大日本帝國憲法の精神を踏まへ、君が代の「君」は日本を統治する天皇の意味で用ゐられ、君が代の歌詞も、天皇の治める御代が末永く續き榮えるやうにといふ意味に解釋されてきたことはそのとほりであります。

○穀田委員
  今お話がありましたが、その内容を一つ一つ吟味する前に、戰前の明治憲法についても一つお尋ねしたいと思ふんです。  御承知のとほり、戰前の明治憲法は、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」これは一條ですね。それから「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ」と、四條で天皇主權をうたつてゐました。天皇は立法權、行政權、司法權のすべてを握り、陸海軍の最高指揮權、宣戰布告權から非常大權に至るまで持つ立場にあつたことは御承知のとほりであります。そして、今、天皇の治める御代とありましたし、日本を統治するといふ言葉もありましたやうに、天皇が絶對であり、天皇禮贊、天皇主權の國のあり方自身が、あの不幸な戰爭、アジアへの侵略戰爭への道を開いたのではないか。このことについて、野中官房長官はいかがお考へですか。

○野中國務大臣
  當時、戰爭を計畫した人が國旗あるいは君が代といふものをどのやうに利用したかは、私は詳細にその時代を檢證するものではありませんけれども、少なくとも、君が代が戰爭をしあるいは日の丸が戰爭をしたといふことには理解をいたしかねるわけでございます。

○穀田委員
  さうは言つてゐないんですよ。天皇が絶對といふ時代に、わかりやすく言へば、今、野中官房長官がお話しした點は、次に來るのは、歴史觀や歴史認識の違ひ、かう來るんでせうけれども、さういふ意味ぢやなくて、天皇主權の國のあり方、天皇絶對、さういふ國だからこそアジアへの侵略戰爭が行はれたのと違ふかと。君が代の話ではないんです。まづそこを言つてゐるんです。いかがですか。

○野中國務大臣
  當時の爲政者がそのやうな方向へと持つていつたことがあの不幸な時代をもたらしたと認識をしてをります。

○穀田委員
その爲政者の中心人物はだれですか。

○野中國務大臣
  それをいはゆる國權の最高者である天皇と言ふ人もありますし、あるいは東京裁判で處刑をされたA級戰犯者であつたと言ふ人もございます。

○穀田委員
  どうも、あなたの認識はどうなのかといふことについてはお觸れになりませんでした。  しかし、大事な問題は、當時天皇主權であつたこと、これは事實です。これは紛れもない事實です。そして、實は、東京裁判といふ話まで出ましたけれども、結局、體制が變はつた時點でどうなつたかといふ問題についても考へてみたいと思ふのです。
それは、天皇主權 の政治體制の反省の上に立つて、侵略戰爭のいはば反省の上に立つて、大日本帝國憲法を廢止し、戰後、國民主權の憲法を生み出したわけです。  さうしますと、この時代の轉換といふものの中心は、天皇主權から國民主權への轉換、そして、侵略戰爭を行つた天皇主權の政治體制の否定といふことに中心問題はなると思ふのですが、その點はいかがお考へですか。

○野中國務大臣 そのやうに、いはゆる舊憲法を廢止し、新しい憲法が制定されたと存じてをります。

○穀田委員
それでは、やうやく私の言つてゐることについては贊意を示していただいた。
そこで、もう少し詰めていきたいと思ふのですけれども、憲法にさういふ内容の精神の前文がある。憲法の精神がその前文に書かれてゐます。それはかうなんですね。「われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書かれてある。
まさに、この精神の體現は、侵略戰爭を行つたあの天皇主權の否定だ、そして、そのことによつて改めて國民主權への轉換が行はれたといふふうに理解してをられると見ていいのですね。

○野中國務大臣
そのとほりでございます。

○穀田委員
そこで、大事な問題は、この侵略戰爭と天皇の問題といふのは切つても切り離せない、そして、さらに君が代の問題についても切つても切り離せない。このことについてはお認めになりますね。

○野中國務大臣
そこがあなたの意見と食ひ違ふところでございます。

○穀田委員
どう食ひ違ふのか、少しおつしやつてください。

○野中國務大臣
どこが違ふかといふことは、私が先ほど申し上げましたやうに、いはゆる大日本帝國憲法におきます天皇の位置づけそのものをかつての侵略戰爭の責任と考へる人と、さうではなしに、さういふものを利用して我が國を不幸な戰爭の時代に引つ張つていつた、さういふ人たちを指すものとの見解が違ふといふことでございます。

○穀田委員
さうしますと、もう一遍尋ねざるを得ませんね。
先ほどお話ししたやうに、新しい憲法といふものをつくつた、ないしはできたその中心問題は、侵略戰爭と不可分に結びついてゐた天皇主權、天皇絶對といふ、さういふ體制の否定から起こつてゐるんだといふことはお認めになるのでせう。

○野中國務大臣
戰爭に敗れて、過去を否定し、新しい憲法でスタートをしたといふことを認めます。

○穀田委員
どうもそこのところが非常にあいまいな感じがしますね。
といふことは、私が言つてゐるのは、天皇がいはば大權を用ゐ、そして統治する、さういふ國だつたからこそ、そしてまた、そのことを君が代といふ形で禮贊し、そしてさういふ治世が行はれたからこそ、あのアジアの侵略戰爭があつたといふことを私は言つてゐるので、そのとほり理解していいのですね。どこが違ふのですか。

○野中國務大臣
私は、そのやうな理解をいたしてをりません。

○穀田委員
そこで、先ほど私は言つたのですよ。憲法の前文に、その精神が、侵略戰爭と結びついてゐる天皇主權について、不可分に結びついてゐることについて實は反省をしてゐる、そこから出發してゐるといふことを私は言つたのです。それはそのとほりなんですね。
なぜあなたはさう言ふかといふ問題について、もう一遍、では、私はこの憲法の理解との關係で言つてみませう。
この憲法の、今先ほど私が述べました前文の第一段の意味について、法學協會の「注解日本國憲法」はこのやうに書いてゐます。
第二に、憲法制定の理由。前文第一段に「われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍の起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあるのは、

ここからなんですね、

 憲法制定の理由を説明したものである。平和と自由とを確保すること、即ち結局においては戰爭を起さないやうにすることが、憲法制定の究極の目的であるといつてよい。そしてこのためには、過去において日本を戰爭に導いた禍根を絶たなければならない。その禍根は、天皇が主權者として統治權を總攬し、軍閥及び官僚が、天皇の名において、統治權を恣にした

 この禍根を取除くためには、軍國主義と官僚主義を排することはもちろん、天皇が統治權を總攬する制そのものを廢し、主權が國民に存することを明らかにしなければならぬ。これがこの憲法制定の理由とされてゐるのである。

として、わざわざ書いてゐるのです。かういふ理解なんですね。
だから、私は、大日本帝國憲法の精神を踏まへてと、先ほど總理答辯の話がございました、とすると、その大日本帝國憲法がこの精神に基づいて廢止されたと同樣に、戰爭への反省の上に立つて君が代は廢止すべきだつた、このことが中心だと思ひます。  だから、侵略戰爭と結びついた天皇主權をたたへる歌は、解釋を變へたつて國民主權の精神とは兩立できない御都合主義と言はなければならない。このことをまづ言つておきたいと思ふのです。
次に、君が代の意味、これを問ひたいと思ふのです。君が代のフレーズ、三文字について聞きたいと思ひます。
小渕首相は、君が代の「君」は、日本國及び日本國民統合の象徴であり、その地位が主權の存する日本國民の總意に基づく天皇のことを指してゐると解釋し、君が代の「代」は、本來、時間的概念をあらはすものでありますが、轉じて國をあらはす意味もあると解釋すると答辯してゐます。
そこで、殘る文字は「が」なんですね。「君が」の「が」です。これはどういふものか、聞きたい。
これは所有の格助詞であることは間違ひありませんね、野中官房長官。

    〔小此木委員長代理退席、委員長着席〕

○竹島政府委員
  お答へ申し上げます。  君が代の「が」は、所有の助詞でございます。  君が代は、日本國憲法下におきまして……(發言する者あり)「が」の意味は、所有の助詞でございます。

○穀田委員
  所有の格助詞だといふことは間違ひないとお話がありました。

○二田委員長
  私語はやめてください。注意いたします。

○穀田委員
  そこで、政府が「君」と「代」とを分解して解釋したわけですが、だから私は、その間にある「が」といふ意味を聞いてゐるわけですが、所有の格助詞だから、さうすると、君が代といふ三文字のフレーズの解釋といふのは、縮めて言へば、「君」は天皇、「代」といふのは時代ないしは國、かういふわけですから、「が」といふのは現代語でいへば「の」と言へると思ふので、素直に讀めば天皇の時代、天皇の國といふふうになると思ふんです。いはゆる「が」といふもの、今日でいひますと「の」ですね、支配とか所有といふことをあらはすわけですが、それで間違ひありませんね。

○竹島政府委員
  六月二十九日の本會議における總理の御答辯にございますやうに、「代」とは、本來時間的概念をあらはすものでございますが、轉じて國をあらはす意味もある。そこで、君が代とは、日本國民の總意に基づき天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國のことである、かういふふうに答辯していらつしやるわけでございます。  君が代の歌詞も、そのやうな、今申し上げましたやうな我が國、その我が國の末永い繁榮を祈念したものである、かういふのが政府の申し上げてゐる解釋でございます。

○穀田委員
  私は、全體の歌詞のことまで聞きましたか。なぜさういふふうになるのかな。
大體、素直に讀めばといふことで、「が」といふのは支配といふか所有といふ意味になるんだなと聞いてゐるんですよ。それをまづ答へてください。

○竹島政府委員
  私どもは、さういふ、「君」とか「が」とか「代」とかといふ言葉の國語的解釋をしてゐるわけではなくて、君が代といふのは、まさに古今和歌集に起源を發する古歌である、それが明治になりまして日本の國歌として選定をされた、自後、日本の國歌として歌はれ、定着をしてゐる。さういふ事實に基づきまして、慣習に基づきまして、今回法制化するために、「國歌は、君が代とする。」といふことにしてゐるわけでございまして、君が代の古文的ないし國文學的解釋をしてゐるわけではございません。

○穀田委員
  二つあると思ふんですね。
まづ、國語的解釋もしないでどないして教へるの、あなた。情けないね。それと、さういふ、分けて解釋するものぢやないと。分けて解釋したのはそつちでせうが。「君」といふ解釋をしたのはだれなのか、「代」といふ解釋をしたのはだれなのか。だから、「が」といふ殘つてゐるものを聞いてゐるんですよ。をかしいぢやないですか、おたく。

○竹島政府委員
  「君」は象徴天皇のことである。君が代の「が」は所有をあらはす助詞である。君が代とは、先ほど申し上げましたやうに、我が國のことである。かういふことでございます。

○穀田委員
  まさか、どうして我が國のことになるんです。そこが、「君」が天皇であつて、そして「が」が所有のあれであつて、君が代は我が國である。どういふ理解でそんなこと言へるんです。「君」が天皇であつて、「が」は所有の助詞であつて、「代」と竝べたら國となる。どこで化けるんです、さうやつて。
さういふ解釋で、どうして「が」と「代」が當たり前に、だれが聞いてもわかるんです。だれもわからないですよ。どうして國となつちやうんです、いつの間にか。そこを教へてください。

○竹島政府委員
  先ほども申し上げましたやうに、「代」といふのは一般的には時代をあらはすといふことでございますけれども、廣辭苑にもございますやうに、それは轉じて國をあらはすといふことになつてゐるわけでございます。したがつて、君が代の解釋につきましては、繰り返しになつて恐縮でございますけれども、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民の象徴とする我が國、さういふ意味であるといふふうに解釋することが適當であるといふのが、政府が申し上げてゐる見解でございます。

○穀田委員
  だれが聞いてもをかしいと思ひませんか。「君」は天皇だ、「が」は所有だ、「代」は時代ないしは轉じて國だと。さうすると、天皇を象徴する國ぢやなくて、さうすると、「が」といふのは、「を象徴する」といふふうに讀むわけですか。わかる。わからない。
あなたが言つてゐるのは、「君」といふのは天皇だ、「代」といふのは時代ないしは轉じて國だといふんでせう。だとすると、素直に讀めば、天皇の時代、天皇の國といふことでせう。それ以外に何の理屈があるんです。あなたの理屈は、そこから今度はどういふわけか發して、簡單に縮めて言へば天皇を象徴する國だと述べてゐる。さうすると、「が」といふのは、「の」とか所有といふ意味ぢやなくて、あなたがおつしやつた言葉からすると、「天皇を」から始まつた「を象徴する」といふ言葉なんですか。いつそんな理解を子供たちに教へることができるんですか。言つてください、もう一度。 ○竹島政府委員 君が代の戰前の、先ほど、要するに、古文的に申し上げますと君の代であらうと思ひます。したがつて、大日本帝國憲法時代にその解釋が行はれたやうなのが一つの解釋であつたといふのはさうでございますが、ただ、これも歴史的には、古今和歌集時代は、古今和歌集は「我が君」だつたわけでございます。和漢朗詠集になつて「君が代」になつたといふことでございまして、平安の昔にさかのぼりますと、それは必ずしも天皇を指すとは限らないといふ意味もあつて、さういふ流れの中で、確かに戰前の大日本帝國憲法下における時代では、この君が代の意味については、まさに天皇の治める治世、かういふことであつたといふのが先ほど御紹介した解釋でございます。  では、この今の日本國憲法下においてそれをどう解釋すべきかといふことになりますと、「君」とは象徴天皇、その象徴天皇といふのは、日本國、日本國民を象徴されてをられるわけですね。それで、その地位は、まさに先ほど第一條を讀み上げましたやうに、「日本國民の總意に基く。」かうなつてをりますので、ひとり天皇の、天皇の御代とか天皇の治世、天皇の國といふ解釋は、この今の憲法との關係で適當ではない。それはさうではなくて、先ほど申してゐるやうに、日本國の末永い繁榮、その日本國といふのは、象徴天皇といふものを、憲法第一條にございますやうに、さういふ日本國である、その國の國歌としてふさはしい、かういふことでございます。

○穀田委員
  今のお話をもし小學校なり中學校でしてゐたら、だれもわからないぢやないでせうかね。  皆さん、何度もお聞きするけれども、あなた方が解釋をしたんですよ。「君」といふのは象徴天皇だ、そして「代」といふのは時代であり、轉じて國だ。さうすると、「が」といふのは何かと聞いたら所有の格助詞だと認めた。「の」といふ意味だと。それを素直に讀めば、象徴天皇であらうが何であらうが、あなたの先ほどの説明は天皇の地位についての一條の説明だけですよ。首相が言つてゐる新しい見解なるものも、第一條についてずつと讀み上げて、さういふ天皇と言つただけですよ。それは何の意味もないんですよ。つづめて言へば天皇なんですよ。象徴であらうが何であらうが天皇なんですよ。さうすると、天皇の時代。御代なんて私言つてない。戰前はさうかもしれない。  もう一遍言ひますよ。あなたの解釋、政府の解釋は、「君」といふのは象徴である天皇だ、「代」といふのは時代と、ないしは國を指す。とすれば、素直に讀めば天皇の時代、天皇の國といふことになるぢやないか。あれこれ修飾語はつけてゐるけれども、さういふことだなと言つてゐるんですよ。それがみんなだれもがわかる理解ぢやないですか。あなたの先ほどの説明なんか、だれが聞いてわかりますか。答へてください。

○野中國務大臣
  穀田委員は、昭和二十年の八月十五日以前の我が國のたどつてきたいはゆる出來事の認識と、そしてその後の歴史の變遷とを、日の丸・君が代に一緒にして論じてをられるんではなからうかと思ふわけでございます。  さうでなかつたら、いはゆる共産黨は、天皇制を否定して、そして日本國憲法の上に立つていらつしやるわけですか。(發言する者あり)

○穀田委員 いつもさういふことを言はれるから……

○二田委員長 御靜肅にお願ひします。

○穀田委員
  まさにさういふ話として出すから、私は、それこそをかしいんぢやないかと思ひます。
ですから、何でしたら、私は、さう言ふだらうと思つてけふ持つてきたので後でお渡ししますが、日本共産黨の綱領は何と書いてあるかといふことについて、よく見ていただければわかると思ひます。
そこで、私はあなた方の解釋について言つてゐるんですよ。昔の話をしてゐるんぢやないですよ。  今日、總理大臣が解釋をした「君」といふのは、いろいろあるけれども、象徴天皇だ。「代」といふのが、いろいろあるけれども、時代であり、轉じて國となす解釋がある。さうすると、「が」といふ解釋についてはどうなんだとお聞きしたわけですね。さうしたらあなたは、内政審議室長は、「が」といふのは所有の格助詞とお認めになつた。お認めになるといふことは、わかりやすく言へば、象徴である天皇の時代ないしは國といふふうに理解できるけれども、それでいいなといふ話をしてゐるだけなんですよ。さうぢやないですか、室長。

○竹島政府委員
  先ほども申し上げたとほりでございますが、古文の解釋のやうな、君が代といふ言葉の意味は何か、かういふ問題として私どもは政府見解を出してゐるわけぢやございません。
  要するに、憲法との關係を踏まへて、この君が代の意味は、總理が本會議で答辯されたとほり、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國のことだ、その平和と安寧を祈念した、さういふ歌なんだ、かういふことを申し上げてゐるわけでございまして、それぞれの言葉が、「君」は象徴天皇、「が」は所有の格助詞、「代」は國、よつて象徴天皇の國、さういふことを私どもは申し上げてゐるわけではないんです。

○穀田委員
  あなたが申してゐないといふのではなくて、「君」と「代」がさういふふうになつたらば、「が」といふ解釋をすれば、素直に讀めばさうなるぢやないかといふ話をしてゐるんですよ。  だから、あなたはすぐ歌詞全體の話を持ち出すけれども、さうぢやなくて、わざわざ分解して解釋をし、新たな見解として打ち出したのは政府なんですよ。その際に、「君」と「代」が打ち出されたから、ぢや「が」はどうですかと聞いてゐるんですよ。
だから、それを素直に讀めば、「が」といふのはお認めになつたから、さういふ古文の話だとかいふ話をしてゐるんぢやなくて、素直に讀めば、君が代といふあなた方が今度國歌にしようとしてゐるものの中身といふのはかういふことに理解することができるぢやないかと言つてゐるんですよ。さうでせう。どう考へたつてさうぢやないですか。
個々のさういふ、歌詞の、それぞれの持つてゐる單語の意味、それはさういふことぢやないか、さういふふうに理解して當たり前だし、あなたの言ふやうに、歌詞全體とするんぢやなくて、今度政府が打ち出した「君」と「代」を分解して出したことに伴つて、「が」といふものを分解したらかうなるし、したがつて君が代といふのはかういふ理解でいけるといふんぢやないか、當たり前ぢやないかと言つてゐるんですよ。

○竹島政府委員
  先ほど申し上げた君が代といふのは、私は君が代の歌詞全體の意味を申し上げたわけぢやなくて、「君が代」といふ三つの言葉から成るそのフレーズの意味は、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國、そのことである、かう申し上げてゐるわけでございます。

○穀田委員
  何度聞いてもわからない人ですね。そんなふうに、さうすると、「が」といふのは、さういふ、それだけのフレーズを解釋することができるのかといふことを聞いてゐるんですよ。それぞれの品詞についての、一つ一つ詰めていつた話をしてゐる際に、「君」はこれで、「が」はこれで、「代」はこれだといふ話をしてゐるときに、「君が代」になると膨大になる。こんなあほなことがありますか。どう考へたつてをかしいでせう。そんなことを小學校なり中學校が教へられますか。(發言する者あり)何を言つてゐるんですか。
「君」を分解し、「代」を分解したのはあなた方だ。そして、「が」といふのはかういふ意味だと、それをお認めになつた。だとしたら、その品詞を一つ一つ問ふていけばそれしかないぢやないですか。それを言つてゐるんですよ。ごく自然な、だから、あなたはさうおつしやるけれども、この問題についていへば、今度の問題についていへば、象徴天皇の時代、象徴天皇の國と解釋することができるから驚いたといふ方がいらつしやるんですよ。私は、それも含めて言つてゐるわけであります。
だから、あなたのお話でいへば、結局、個々の品詞の意味を、この解釋はお認めになる。ところが、君が代といふ三文字になれば、お話しすれば、かう言つてゐるんですね、天皇を象徴とする國と。となりますと、「が」といふのを、「を象徴とする國」と讀み取ることができるといふ珍妙な解釋になるぢやありませんか。それは認められないんですよ。それは改めて言つておきたいと思ふ。
だから、個々の意味について問へば、結局、あなたの言つてゐる、もう一度言ひますよ、「君」は政府が解釋した、「代」も解釋をした。私が「が」について尋ねた。そしたら、「が」といふのは所有の格助詞とお認めになつた。だとすると、個々の意味を問ふてゐることと全體を説明するといふのは全く話が違つてきて、次元の違ふ話になつて、説明がつかないといふことぢやないですか。さういふことでせう。何か言ひたいことありますか。ないでせう。
ぢや、次に、さういふことだといふことで、結局説明がつかないといふことがはつきりしたと思ふんです。(發言する者あり)さういふことを言つて教へてゐるんだからたまりませんね。
そこで、次に、それぢや……。

○二田委員長
  答辯はよろしいんですか。

○穀田委員
  はい。幾ら言つても同じことしか言はないんでせう。それこそ、あつちからちんぷんかんぷんと出ましたけれども、その言葉をそつくりお返ししたいと思ひます。
  次に、では、定着といふ問題についてお聞きしたいと思ひます。
  政府は、事あるごとに、國歌君が代は、先ほどもありましたが、慣行として定着をしてゐる、かう言ひます。
そこで聞きますが、一體全體、何が定着してゐるのか、君が代の意味はどういふふうに國民に定着してゐると考へるのか、お聞きしたいと思ひます。

○竹島政府委員
  お答へ申し上げます。
  政府の世論調査といふのは、昭和四十九年に行つたものでございますが、そのときに、日の丸の旗は國旗としてふさはしいと思ひますかといふ質問に對しまして、八四%の方、これは、當時、全國の一萬人の有權者を對象にしたものでございますが、八四%が日の丸の旗は國旗としてふさはしいと思ふとお答へになつてをられる。君が代は國歌としてふさはしいと思ひますかといふものに對して、七七%の方がふさはしいと思ふと答へてをられます。  その後、三月以來、この法制化のことが議論されるやうになりましてから、もう既に何回かの御指摘もいただいてゐますし、委員も御存じだと思ひますけれども、各マスコミ、NHKを含め各新聞社が世論調査をされてをりますが、その結果を見ましても、國民が日の丸・君が代について、それぞれ國旗・國歌としてふさはしいといふふうに答へていらつしやるといふことでございます。

○穀田委員
  今のお話は、前半の方は確かにさういふ話をしたのかもしれません。つまり、まづ、私は三つあると思ふんですね。
一つは、今國旗が、國歌が、おほむねさういふふうに思つてをられる、これは一つあると思ふ。ところで、あの世論調査の内容をもう一つよく、詳しく見てゐると、法制化については餘りに贊成が多くないといふ内容も出てゐることは御承知のとほりです。それで、三つ目に大事な問題は、私が問ふたのは、君が代の意味はどういふふうに國民に定着してゐるかといふことを問ふたのですね。そして、そこの點についてはお答へにならなかつた。
時間もありませんので言ひますと、政府が法案を提出した以後の一番直近の世論調査では、「君」は象徴天皇を意味すると思ふといふ方が五〇%、さうは思はないといふ方が四〇%、その他、答へないといふ方が一〇%といふふうになつてゐるぢやないですか。だから、このことはあなたがお話しにならなかつたが、内容的には、あなた方が六月十一日に打ち出した、象徴天皇を意味するといふ時點での中身については全く定着してゐないといふことは事實だとあなたも判斷しますね。

○竹島政府委員
  各種の世論調査がございまして、私ども、定着してゐるかどうかについて大事なことは、ふさはしいといふお答へではないか。法制化についてどうだとか、細かい質問に對するアンケート調査の結果も承知してをりますが、それは決して反對であるといふのが上回つてゐるといふ實態ではございませんが、世論の把握としてより大事なことは、國旗・國歌としてふさはしいと思つてゐますかといふことに對して壓倒的、八割、九割の方々がさう思つてゐるといふ事實が大變重要であるといふふうに認識してをります。
さういふことに立つて、あとは世論を踏まへ、要するに國會においてお決めいただくことである、かういふふうに政府としては考へてをります。

○穀田委員
  勝手な解釋といふのはこれほどあるかなと思ひます。それは一つの側面でせう。大事な問題は、今法制化をしようとしてゐる、そして大事なことは、さういふ解釋を打ち出してゐるといふことですよ。
だから、この間、産經新聞に上坂冬子さんといふ方は、「「君が代」を國歌にすることに贊成だつた」、けれども、「私でさへ敗戰から半世紀をへて「君」が象徴天皇をさすとは思ひもよらなかつた。石ころが苔むす岩になるほど千年も八千年も末長く平穩な日々がつづくのを望んではゐるけれど、それを特定して象徴天皇のために歌ひ上げるとなると抵抗がある。」「國家の主權は私たち國民にあるはずだ。」かういふふうに言つてをられるんですよ。
今、あなた方がやらうとしてゐるのは、國旗にとつてふさはしいか、國歌にとつてふさはしいかといふアンケートをとつて、よつしやと言つてゐるんぢやないんですよ、それを法制化しようとしてゐるんですよ。法制化について、しかも今國會で決めようとしてゐるんですよ。では、今國會でどういふ意見が出てゐるのか。それで言ふならば、私どもは、先ほど言つたやうに反對だ。同時に、これについてはいろいろな意見があるけれども、つい先ごろの朝日新聞の世論調査では、六六%の方々が、もつと愼重に審議すべきだと言つてゐるんですよ。さういふことからしましても、まさに都合のいい話だけとつてゐると言はざるを得ないと思ひます。
なほかつ、内容の問題について、またあなたは一言もお話しにならなかつたが、私は、敷衍して言へば、ことしの三月に實施された高校生を對象にした世論調査でも、君が代の歌詞の意味を知らない生徒が過半數を占めてゐるんです。あなた方はまともに教へてきたことがあつたのか、かう言はざるを得ないと思ふんですね。まして、先ほども言つたやうに、君が代が天皇絶對主權、そして侵略戰爭と深く結びついてきた歴史的事實があるわけです。
だから私は、この間見ますと、本當に大切な意見を述べてをられる方がをられるなと思ひました。それは投書で出てきてゐるんですけれども、今のさういふいろいろなやり方といふのはどうも解せないといふのが出てゐます。この新聞にも、この間ずつと世論調査の結果だとかさういふのが出てゐます。これを國旗・國歌として認められないとする考へ方、抵抗感があるといふのは、これは歴史的な經過があり、憲法との關係でも客觀的な意味があるといふことが私は大事だと思ふんです。
だから、これを定着してゐるとして、與黨の幹部の方々がおつしやるやうな過激な考へ方だとか特殊な思想だとかを排除することといふのが、まさに戰前に君が代が歩んだ道を繰り返すことにつながるんぢやないか、私は、その道を歩まないやうにすることが、戰爭を體驗したといふ意味での、野中官房長官、あなたの一つのなさるべきお仕事ではないかと思つてゐるところです。いかがでせうか。

○野中國務大臣
  戰爭を體驗した私は、戰後五十四年間歩んできました。穀田委員と同じ京都でずつと生かさせていただいてまゐりました。過去を餘りにも徹底して惡く言ふことによつて、新しい憲法でスタートした我が國のありやうについて、教育現場等で國旗・國歌等が徹底していはゆるこれを認めないといふ教育を行はれ、さらには、それはどこにも根據がないぢやないかといふことについて、教育現場でそれぞれ激しい交渉になりました經過は、同じ京都にをりまして、立場は違ひますけれども、ずつと私どもは共有してきたはずであります。
あなたは若うございますから、京都が非常にさういふ點で激しかつた時代を御存じないかもわかりませんけれども、いはゆる教職員組合やその他すべてにおいて、徹底してさういふ、日本の國を否定し、あるいは新憲法をあたかも否定するのではないかと思はれるほど、日の丸あるいは君が代について、教職員の場においては徹底した對立が行はれ、そのことが今の子供たちに影響をして、子供たちが國歌やあるいは國旗を認識することが足らないやうな時代を築き上げてきたことに、我々は、一九九九年といふ年を終はるに對して、新しい二十一世紀を一年半後に控えて、やはりこの國のありやうについてしつかりとしたものをしておかなくてはならないといふ意味において、定着してきた國旗・國歌を法制化しようとするところでございます。

○穀田委員
  それは私は明らかに野中長官の意見とは反對です。なぜなら、さういふ話を一々しても仕方ありませんけれども、日本國憲法に基づく良心の自由、内心の自由、そしてそれに基づく行動の自由といふことが、當然多くの方々が行つてきたし、そしてそれを教育現場に押しつけてもきた。そしていはゆる平成元年以前は、君が代の歌詞の意味さへも教へずに、ともかく儀式で歌ふことだけ強調してきたといふことの結果でもあつたし、さういふ強制がいはば良心の自由との鬪ひの中で、あり得ないとする多くの方々の運動があつたことは當然だと私は思ひます。  あわせてその點も關聯してお聞きします。
國家總動員體制のもとで、實は天皇の名で國民を侵略に驅り立てていつたことは紛れもない事實です。第二次世界大戰中に行つた日本の侵略を受けたアジアの國々は日の丸をどう見てゐるか。先ほどありましたさういふ侵略のシンボル、そしてさういふきな臭い動きが起こるたびに、そのことを掲げてやらざるを得ない事態に對して、教へ子を再び戰場に送るまいとする多くの聲を上げたことは、私は誇りとするものです。
そしてさういふ意味で、日本の侵略を受けたアジアの國々の方が日本のさういふ日の丸をどう見てゐるのかについて、では内政審議室長にお聞きします。

○竹島政府委員
  法制化に對するアジア諸國を中心といたしました海外の反應でございますけれども、一部に批判的な報道もなされてゐることは承知してございますけれども、アジアを含む、中國等を含め諸外國の政府から何らかの懸念の表明等があつたといふことは、政府として聞いてをりません。

○穀田委員
  外交關係上、そんなに一々異論を挟むとお思ひになりますか。それはしないんですよ。問題は、外交問題にならなければよいとか惡いとかといふ問題ぢやないんです。アジアの諸國民の氣持ちを無視してよいのかといふ問題なんです。今もさういふお話がありましたけれども、當時どういふことが行はれたかといふ問題について、やはり見る必要があると思ひます。
  シンガポールでは、教科書に、「昇る太陽を示す日本の旗が家の前に掲げられた。」そして、「シンガポールの人びとは日本の支配下で彼らの生涯のうち、もつとも暗い日々をすごした。」また、マレーでは、教科書では、「學校ではまた、日本人の生活樣式が教へられた。そこでは日本人の挨拶の仕方や日本の慣習、歌が教へられた。いつも愛國的な歌が教へられた。當時、日本の國歌「君が代」は全國でよく知られたものだつた。」これはマレーの教科書です。そして同じく、「日本はあらゆる方法を用ゐて「日本精神」をマレー人に注入した。」これは初級中學校用の教科書です。「日本軍は、人民に日本國旗、日本國家に尊敬の念を抱くやうに強制した。學校では日本語を教へた。學生は毎日東北の方角に向かつて最敬禮して、日皇に對する崇拜の念を表わすやうに強制された。」といふふうに書いてゐるんです。つまり、過去の問題とは違つて、現在の問題として學校の中できちんと教へてゐるんです。それぐらい重要な重みを持つてゐるといふことに思ひをゐたす必要があるだらうと私は思つてゐます。
そして、そればかりぢやありません。政府が法制化を言ひ出したら、國際的認知どころか、アジア諸國の有力新聞紙上で一斉に危惧が表明されてゐることも、これまた見逃せない事實ではないでせうか。
例へば、韓國の東亞日報は、校長の自殺を呼んだ日本軍國主義の亡靈といふ見出しを出して、これまでの政府の押しつけを批判してゐます。同じく中國・香港の日刊紙明報は、日本軍國主義の旗と歌を正當化といふ見出しで法制化の動きを批判的に報道してゐます。第二次世界大戰中、日本が侵略したアジア各國で日の丸と君が代は日本軍國主義の象徴と見られてゐると書いてゐるんです。韓國のもう一つの新聞ハンギョレ紙も、君が代について、これは、君主の治世が永遠であれといふ歌詞が近代國民國家の理念に合はず、アジア侵略を想起させるとの理由から拒否感が示されてきたと書いてゐるんです。
  かういふ外交の部面だけではなくて、國民の怒つてゐるさういふ事實と、そしてそこで行はれてゐる、後世のために、それこそ二十一世紀も含めて展望して殘さなければならない歴史の事實を教へるといふところの中に、アジアにおける侵略の意味の深さがあると私は思ふんです。ですから、さういふものを今回の延長國會で多數をもつて法制化で押し切らうといふやり方は、歌詞の意味も説明できない、そして君が代を國民に押しつける、侵略戰爭のシンボルであつた日の丸を押しつけるといふ、二重三重に國民世論と國際世論をないがしろにするものだと私は思ひます。
私ども日本共産黨は、國旗・國歌は、内にあつては國民的合意、外にあつては國際的理解が何よりも必要と考へます。二十一世紀の日本の國旗・國歌は、國民の大多數がこだはりなく歌え、日常生活の中で親しまれ、アジアの諸國民からも歡迎されるものとする、これを國民的議論を通してつくり上げることこそ求められてをり、そのために努力することを表明して質問を終はります。

{濱田健一委員}
○二田委員長
  次に、濱田健一君。

○濱田(健)委員
  社會民主黨・市民聯合の濱田健一でございます。  けふ午後からのそれぞれの質問を私も聞きながら、そしてけふはテレビ放送ございませんけれども、この委員會の質問、答辯、傍聽していらつしやる皆さん方含めて、やはり國民の皆さん方の日の丸と君が代に對する思ひといふのは本當に複雜な思ひがけふの論議の中でされてをられるのではないだらうかといふふうに感じたところでございます。戰爭を體驗された方、肉親を戰爭で失つた方々、そして戰後の日本の復舊に大きく貢獻をしてこられた先輩たち、それぞれの立場でこの問題についてはいろいろな思ひがあるといふふうに私も感じました。  だからこそ、日本の有史以來法制化されなかつた國旗・國歌法案といふものが、國民的論議がないままに、會期末直前になつて唐突に閣議決定をされ、國會を延長して慌ただしく審議され始めたといふこと、そして特に法案が提出されるまでに小渕總理の當初法制化は考へてゐないといふ答辯から始まつてさまざま搖れられたその状況、これらは法制化の正當性、目的のあいまいさを露呈するものではないかと私は考へてをりまして、私たち社會民主黨は、この國旗・國歌のあり方については、幅廣い國民的な論議をもつともつと積み重ねる必要がある、性急な法制化については反對であるといふ立場で幾つかの質疑をさせていただきたいと思ひます。
先ほど西村委員だつたと思ふんですが、既に、法制化しなくても、日本には、國旗が日の丸として、國歌が君が代として存在をしてゐるんだといふ質疑のスタートの話がございました。私も、政府の答辯、いろいろなものを聞きながら、國旗としての日の丸、國歌としての君が代といふ言ひぶりがいろいろなところに出てくるわけでございますけれども、今まで日本に國旗及び國歌と言はれたものが存在したのかどうか、まづそのことからお聞きをしたいと思ひます。

○竹島政府委員
  お答へ申し上げます。
國旗・國歌といふものが日本においてはいつから存在したかといふ御趣旨の御質問だつたと思ひますが、旗につきましては、寛永十一年に日の丸が幕府の官章といふふうに定められたわけでございますが、その後、安政元年、日の丸が日本の總船印、船に掲げる印として定められ、安政六年には日の丸は御國總標、船ではなくて國の印といふふうにされたといふ記録がございます。したがひまして、江戸時代の終はりから日本には國旗があつたといふふうに理解してをります。
それから、いづれもこれは、いはゆる近代國家になつて、外國との交渉があり、外交があつて、國際的交はりの中で國旗・國歌といふものを定めなきやならぬといふことが近代政府になつてからの話だつたわけでございますが、國歌につきましては、明治になりまして、同じやうに國歌、國を代表する歌が必要であるといふことになりまして、それで君が代がふさはしいといふことで選定をされたといふことでございまして、さういふ意味で江戸時代の末期ないしは明治から日本において國旗及び國歌が存在してゐる、かういふふうに理解してをります。

○濱田(健)委員
  今の答辯では、存在をしてゐるといふことでございます。であれば、なぜ今まさに存在するものを新たに法として制定しなければならないのかといふ疑問點が出てくるわけですが、その點はいかがですか。

○竹島政府委員
  さういふ歴史的經過を踏まへ、かつ、現在になりまして國民の間にも日の丸・君が代がそれぞれ國旗及び國歌としてふさはしいといふふうに意識されてをるといふことで、政府としては、從來慣習法として國旗・國歌といふものがもう存在してゐるといふことでございましたんですが、なぜ今回法制化といふことになつたかといふのは、先ほど來官房長官が答辯されてゐるとほりでございます。

○濱田(健)委員
  慣習法として定着をしてきたんだといふことがこれまでいろいろなところで言はれてをりますけれども、そのなれ親しんできた、國民の間に慣例的に、習慣的にこれが定着してゐるといふことのある程度具體的な意味合ひといふものが、その慣習法といふものについて説得力ある説明になるかと思ふのですが、その具體的な定着してゐるといふ姿を二、三點お示しいただければ幸ひです。

○野中國務大臣
  先ほど來累次申し上げてをりますやうに、各報道機關の調査あるいは昭和四十九年内閣府が行ひました調査等によりましても、日の丸・君が代が國旗・國歌として廣く國民に定着をして認知されてをるといふことになるわけでございますし、濱田委員御承知のやうに、一九九四年、村山内閣におきまして、村山總理は、七月十八日であつたと思ひますが、みづから總理大臣として、本會議の席上において、自衞隊、日米安保體制を容認されますとともに、國旗・國歌について、日の丸・君が代を私は尊敬をし、これからもやつていきたいといふ發言をされました。まさしく内閣總理大臣たる村山總理が戰後五十年に當たつて登場をされましてそれを申されたことは、一、二の例としてはまことに大きく、當時私は感動をもつてお聞きをしたことを今改めて思つてをる次第であります。

○濱田(健)委員
  國民の意識の中に、オリンピックやいろいろな自治體の集會、いろいろな場所で日の丸の掲揚がなされ、君が代が歌はれつつある、さういふ場の設定の中では、意識としての定着といふのは私も否定はいたしません。しかし、國民が日常生活の中でこの日の丸や君が代に對して本當になれ親しんでゐるかといふ生活上の状況についての、慣習法としての定着といふものが本當にあるのかどうかといふ點についての具體的な中身といふものを二、三點出していただきたいといふふうに申し上げてゐるわけでございます。

○竹島政府委員
  時代時代で變はつてゐると思ひますが、昔のやうに、個人の家で國旗を掲揚するといふやうなことは最近は希有なことになつてをるといふことはございますけれども、一方で、各種のスポーツ競技、オリンピック、ワールドサッカー等々におけるスポーツのイベントにおける國旗、それから國歌の演奏といふやうなことはますます機會がふえてゐるといふふうに思ひまして、國民の中における定着を反映した、ビヘービアといひますか、行動として何があるかといひますと、むしろさういふ場面での國旗なり國歌との國民の接し方といふことの方が今は大きいのかなといふふうに思つてをります。

○濱田(健)委員
  しつかりとした回答は出てこない。
  私は、さういふ中で、やはり思想、信條の自由、内心の自由、これらを守つていくためには、法制化といふ、今回のこの法案が本當に國民の一人一人の利益につながつていく、さういふ將來に向けての展望を持てる中身なのかといふことは、もう少し時間をかけて論議をしなければならないといふふうに思ふところでございます。
もう一點觸れさせていただきたいと思ふのですが、日の丸についてでございます。
先ほど、幕末から明治、そして今日までの日の丸の状況、お話がございましたけれども、大日本帝國憲法の中でも日の丸が國旗といふ形で國が定めたことはなかつたといふふうに思ふわけですが、この邊はそのやうに理解してよろしいでせうか。

○竹島政府委員
  大日本帝國憲法下におきましては、一つ、昭和六年に議員立法で第五十九回帝國議會に大日本帝國國旗法案といふものが提出をされ、衆議院は通過いたしましたけれども、貴族院で會期末で審議未了、廢案、その次の國會では、これは衆議院が解散になつてこの法案は日の目を見なかつた、かういふ經緯がございますけれども、それ以外は、私どもが知る限り、關係するものとしては、明治三年の太政官布告による商船規則によつて商船が掲げるべき日本の國旗が定められたといふ以外はございません。

○濱田(健)委員
  歴史的に、さういふ形の中で一、二回法制化をされようとしたときがあつたわけですけれども、私たちは、帝國憲法下でもこの日の丸といふ存在が國旗といふ形を國民全體の中に押しつけるといふことは、または法制化するといふことは、人間の内心にかかはる問題であるといふ認識がやはりあつたのぢやないかといふふうに思ふわけでございます。
私たちはこの法律案が出ましてからいろいろなことを考へてみましたけれども、けふの論議の中でもございましたとほりに、過去、不幸にしてこの日の丸といふものが近鄰アジア太平洋地域の人々に侵略のシンボルとなつたことは忘れてはならないといふふうに思ふわけでございまして、過去の侵略戰爭や植民地支配、かういふものへの反省の意といふものが村山元總理の戰後五十年の總理の發言の中にはにじんでをりましたけれども、國の總意として、國會の中でかういふ決議といふものも上げる時期に來たのではないかといふふうに思ふわけですが、その邊の御見解といひますか、政府の御意向をお伺ひしたいといふふうに思ひます。

○野中國務大臣
  戰後五十年の際におきます内閣總理大臣談話といたしまして當時の村山内閣總理大臣が出されました談話は、今なほ私ども、この過去の歩んできた歩みについて、いはゆるアジア諸國に多くの傷跡を殘してきたことを、これを今もこれからも大切に反省の糧としていかなくてはならないと認識をしてをります。その認識の上に立ちまして、新しい憲法下における我が國のありようと新しい世紀に對する我が國のあるべき姿を明確にしておくべきであらうと考へたわけでございます。

○濱田(健)委員
  文部省にお伺ひしたいと思ひます。
文部省所管の法律の中に、日の丸を國旗として掲揚をさせるための現行法があるかないか、お答へいただきたいと思ひます。

○辻村政府委員
ただいま先生のお尋ねのやうな内容の、文部省が所管をしてをります法律はございません。

○濱田(健)委員
  學校現場の混亂といふ言葉がけふの委員會の中でも何回も出てまゐりました。日の丸の掲揚をさせなければならないといふ所管の現行法はないと。
ではどこで、今、日の丸を掲揚するといふことが盛んに行はれてゐるし、見方によつては日の丸を上げつ放し、これはをかしいぢやないかといふ人もをられるやうでございますけれども、ここの指導の根據といふのは何なんでせう。

○辻村政府委員
  小中高等學校におきます教育内容につきましては、學校教育法といふ法律がございます。その學校教育法の委任を受けまして學校教育法施行規則がございますが、その中に「教育課程の基準」として、各學校におきます教育内容は教育課程の基準として文部大臣が告示する學習指導要領によつて定める、かうなつてゐるわけでございます。この規定によりまして、各學校におきます教育活動はこの學習指導要領を基準といたしましてさまざまに展開をされてゐるわけでございますが、その學習指導要領の中に、社會科、音樂、あるいは入學式、卒業式につきましては特別活動といふ領域の中に國旗・國歌についての扱ひが規定されてございまして、その規定に沿ゐまして、各學校では國旗・國歌等につきましての指導が行はれてゐるといふことでございます。

○濱田(健)委員
  知つてゐることを聞くといふのはおかしな話ですけれども、中央教育審議會が去年の答申の中でも學習指導要領の彈力運用といふものを盛んに言つてきました。今回の地方分權の中で、地教行法の改正やいろいろな地方分權の動きといふものが盛られてゐるところでございます。
私は、教育の場においてこの日の丸の問題が押しつけ的に實行されることがあつてはならないといふふうに思つてをりますし、そのことは村山元總理も言はれてゐるところでございますけれども、ややもするとそこの部分が、教育的な論議、先ほど穀田委員も、君が代を例にとつて、どういふふうに子供たちにこのことを教へていけばいいのかといふことを時間をかけて追及をされましたけれども、この日の丸の持つてゐた戰前のイメーヂ、そして戰後のイメーヂ、かういふものもしつかりと教育的に教へなければならないわけでございますけれども、ややもすると卒業式、入學式のところだけがクローズアップされてゐるといふ状況の中で、私は、この法制化といふ法律が、官房長官も廣島のあの校長さんの話題を折に觸れ擧げられるわけでございますけれども、やはりこれまでの學習指導要領により根據を與へて、學校の中で強制化を強める中身になつてくるのではないかといふ危惧感を絶えず持つてゐるわけでございますが、その邊は局長いかがですか。

○辻村政府委員
  今回のこの法律によりまして、これまで慣習等として扱はれてまゐりましたこの國旗・國歌等につきまして成文法としてその根據が明確に位置づけられるといふ、これは大きな意義を持つてゐるものだと思ひます。
しかし、現在學習指導要領で規定をしてをりますのは、さうした根據云々といふことではございませんで、さうした國旗・國歌についてどのやうにこれを扱ふか、子供たちに正しい理解を促す、さうしたことが學習指導要領に書かれてゐるわけでございます。
その國旗・國歌について根據が明確になるといふことは大變大きな意義のあることでございますけれども、學習指導要領上この國旗・國歌についての指導の扱ひを變へる、かういふ必要はないのではないか、こんなふうに考へてをります。

○濱田(健)委員
  君が代の部分、問題に、時間がございませんので移つていきたいといふふうに思ひます。
私も現場にをりましたので、先ほどの穀田委員の論爭、盛んにやつたことがございました。あるときには校長先生が、君が代の「君」はあなたたちといふ意味ですよと教へなさいといふことも言はれました。そのときそのときの場所で勝手な解釋がなされてゐる、さういふ場面に何回も何回も出會つてきたわけでございます。  私も、先ほど穀田委員がいろいろと話をされたやうに、今回の法の改正がうたはれてまゐつたとしても、政府見解で象徴天皇といふふうに置きかえられてゐるやうでございますが、舊帝國憲法下での天皇の世の中といふことの意味合ひとほとんど變はつてはゐないといふふうに思つてをりまして、國民主權をうたつてゐる現憲法の中でこれをこのまま二十一世紀に引き繼ぐのはどうなのかと。假に、先ほど申し上げたあなたたち、國民全體といふ言葉にすべて變はつていくのであれば、今の憲法の精神にのつとつてゐるといふふうにも言へるのぢやないかと思ふんですが、その邊はいかがでせうか。

○竹島政府委員
  象徴天皇、その天皇が、憲法第一條にうたはれてゐるとほり、日本國及び日本國民統合の象徴であつて、その地位は國民の總意に基づく、かういふその象徴天皇、それと君が代の意味といふものを兩方踏まへて整理したものが先ほど別な委員に對する答辯でございましたけれども、國民全體とか象徴天皇のみとかいふことではなくて、君が代とは、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國のことである、かういふふうに解釋するのが適當ではないかといふのが政府の見解でございます。

○濱田(健)委員
  小學校の子供たちに、この解釋を古今和歌集から云々といふふうに低學年の子供たちに教へ込むといふのはなかなか難しい點があるだらうと思ふんです。ですから、戰前の天皇の世の中といふ意味から象徴天皇を抱く今の日本の國全體を通してといふやうな形に、假に政府が今回答辯されたやうな形で教へたとしても、子供たちの成長の過程において本當にさうなのかといふ疑問も生まれてくる可能性があるといふふうに思ふんですが、そこで、やはりこの歌詞の持つ意味、そして、そこで教師と子供たちがいろいろディスカッションをしたりする、さういふ教育的な意味合ひといふものも見つけ出さなければならないと思ふんですが、そのときの指導のあり方といふのは、これは政府の新しい解釋どおりに文部省は教師に教へよと言ふのでせうか。

○辻村政府委員
  現在、文部省といたしまして、かうした趣旨でといふことで各學校にお示ししてをりますのは、指導要領の解説に書いてございますが、そこでは四點、先ほどちよつと申しましたのですが、國旗・國歌がいづれの國にもあるといふこと。それから、國旗・國歌はいづれの國においてもその國の象徴として大切にされてをり、互いに尊重し合ふことが必要であること。そして三つ目といたしまして、我が國の國旗・國歌は、長年の慣行により、日の丸が國旗であり、君が代が國歌であることが廣く國民の認識として定着してゐるといふこと。そして四番目でございますが、先ほども答辯がございましたが、國歌君が代は、日本國憲法のもとにおいては、日本國憲法において天皇を日本國竝びに日本國民統合の象徴とする我が國がいつまでも繁榮するやうにとの願ひを込めた歌であるといふその趣旨を示してをります。そして國が、ただいま文部省が示してをりますものはこれに盡きるわけでございます。
あと、子供たちの發達段階に應じて國旗あるいは國歌といふものの意義等をどのやうに教へていくか、これは、それぞれ教師が目の前にゐる子供たちを見ながら教へていただく、そのときの基本的な視點と申しませうか、柱として文部省は今のやうなものを示してゐるといふことであるわけでございます。

○濱田(健)委員
  時間がなくなりました。日の丸にしても君が代にしても、法制化をすることによつて、國や自治體、そして民間問はず掲揚や斉唱といふ形が出てくると私は思つてゐるわけですが、そのことを國として強制したり義務化したりすることはないといふふうに確約させていただいてよろしいでせうか。

○野中國務大臣
  國として強制したり、あるいは義務化することはございません。

○濱田(健)委員
學校現場での強制はいかがですか。

○辻村政府委員
  先ほどにも御答辯申し上げたわけでございますけれども、學習指導要領によりましてこれまで指導してまゐつてゐるわけでございますが、その扱ひを今回の法案に關聯いたしまして變へる、變更する必要はないのではないか、こんなふうに思つてをります。

○濱田(健)委員
  私は、國會に出る前に三つの地域の學校を回つてまゐりました。いろいろな地域でございまして、山あり海あり、町場もございました。今慣習的に定着をしてゐるといふ君が代と日の丸が、十數年前でございました、二十年近く前でございましたけれども、旗日、祝日ですね、祝日に、特に田舍ではどの家に旗が立つてゐるかといふ調査をするところもございました。一緒に何かの儀式に出て、だれが歌つてゐる歌つてゐないといふことを調査して、それを吹聽するところもございました。
私は、今回のこの法制化が、かういふ歴史的に共同生活を續けてきてゐる日本のとてもいい部分と、共同生活といふ意味で鄰の人が同じことをしなければいけないといふやうな生活の状況を強ひてくる、さういふ形の中で、この法制化された日の丸や君が代が位置づけられることのないやうに願ひたいものだといふふうに思つてをります。  さういふ意味では、お聞きするところによると、この内閣委員會、さう多くの論議ができないやうにも聞いてをります。その危惧感を表明して、私たちは國民のもつと幅廣い論議といふものをやつていく必要があるといふふうに申し上げて、質問を終はりたいと思ひます。ありがたうございました。

○二田委員長
  次回は、公報をもつてお知らせすることとし、本日は、これにて散會いたします。

    午後六時二十四分散會

(続く)

その一へ


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