衆議院決算行政監視委員會
第二分科會速記録

    平成21年04月20日
林 潤分科員 <假名遣及び漢字は極力訂正しました>

○横光主査 次に、林潤君。

○林(潤)分科員
自由民主黨の林潤です。このたびは、質問の機會をいただきましてありがたうございます。本日は、日本の國策の根幹をなします歴史認識や教育問題について質問をさせていただきます。(中略)
 次に、教育問題について、國語政策を中心に質問をいたします。
 さて、國語をめぐりましては、昨年の五月、亂れた日本語を正さう、まずは母國語の教育が大切であると、「國語を考へる國會議員懇談會」、通稱國語議連が超黨派による六十四人で發足いたしました。平沼赴夫衆議院議員を會長に、私が事務局長を務め、自民、民主、無所屬など、現在、所屬議員八十一人となつてをりますが、第一に、穴あき五十音圖のわ行の「ゐ」と「ゑ」の是正、第二に、國歌君が代表記の是正、第三に、次代を擔ふ若者 が、日本の誇る古典や、漱石、軟外といつた美しい作品を原文で味はうことができるやうな社會の實現を掲げてをります。
 そこで、政府といたしまして、かうした古典を初めとした美しい日本語に親しむことができる社會を是とするのか非とするのか、また、國語議連の運動方針についてどのやうにとらへてゐるのか、お聞かせください。

○鹽谷國務大臣
 ただいまお話ございました國語を考へる國會議員懇談會の考へ方については、基本的に私どもも同感だと考へてをるわけでございます。
 特に、學習指導要領を改訂いたしまして、これは御案内のとほり、教育基本法も改正した、その理念に基づいて改訂したわけでございますが、小學校の低學年、中學年及び中學校の第二學年の國語の時間數をまづふやすといふこと、そして、古典、漢字の指導あるいは文學教材の充實を圖つてゐる。
 そして、具體的には、小學校中學年で新たに、易しい文語調の短歌や俳句の音讀あるいは暗唱を位置づけてをりまして、また、現行に比べて、歴史的な假名遣の、今お話ありました「ゐ」や「ゑ」に觸れる機會をふやしてをります。
 また、中學校において、今お話ございました、代表的な近代以降の作家としての夏目漱石や森軟外などの作品を取り上げることについても新たに規定をしましたし、言葉の決まりや敬語の指導については、社會生活で適正に使へるやうにといふことを重視して改善を圖つたところでございまして、國語科における指導内容の充實をしてゐるところでございます。
 この指導要領につきましては、小學校は平成二十三年、中學校は二十四年からの完全實施を豫定してをりまして、今現在、準傭の段階でしつかりとこれに對應してまゐりたいと考へてをります。

○林(潤)分科員
 この學習指導要領は本當にかなりの前進がありまして、私どもといたしましても期を同時にして、この文語の問題、原文を英語と違ふやうな形で、英語と同じやうな形で古典をとらへてゐたら子供たちもなかなか接することが難しくなつてくると思ひます。原文をそらんじて、後で意味や、あるいはさうした書きの方がわかつてくるんぢやないかなといふふうに思ひます。
 先ほどありました、わ行の「ゐ」と「ゑ」についても觸れる機會をふやしてゐるといふふうにおつしやいましたけれども、今後、穴あきの五十音圖と私どもは言つてをりますけれども、この五十音圖を、「ゐ」と「ゑ」を正式に學校指導の中で取り入れる意向があるのかないのか。ない揚合は、なぜそれを取り入れないのか、これをお聞かせ願ひます。

○金森政府參考人
 教科書に五十音圖を掲載するかしないか、また、掲載する場合に歴史的假名假名遣いを含めるかどうかは、各教科書會社の判断によるところでございますが、小學校や中學校の教科書の中には、五十音圖への歴史的假名遣の記載といたしまして、「ゐ」や「ゑ」を記載してゐるものもあるところでございます。
 私どもといたしましては、先ほど大臣から御答弁申し上げましたように、小學校中學年で新たに、易しい文語調の短歌や俳句などの音讀や暗唱を位置づけてゐるところでございまして、教科書の中にも、さういつたものを歴史的假名遣を用ゐて表現してゐるものもございます。
 したがひまして、今よりも歴史的假名遣いの「ゐ」や「ゑ」に觸れる機會、かういつたものはふえてくるだらう、こんなふうに考へてゐるところでございます。

○林(潤)分科員
 大変によい取り組みだと思ひますし、これまでの國語行政を考へると、この學習指導要領の改訂から非常に進むんぢやないかと私どもも期待をしてをります。原文、それから音質の問題もあると思ひます。かうした、わ行の「ゐ」と「ゑ」にもしつかり使ふ意味があるんだといふことを、授業でもぜひ文科省の指導のもと教へていただきたいなといふふうに思つてをります。
 次に、我が國の法律、法令や公文書におきます國語表記の基準について質問をいたします。昭和五十六年の十月一日付内閣訓令第一号の、「政府は、本日、内閣告示第一號をもつて、「常用漢字表」を告示した。今後、各行政機關においては、この表を現代の國語を書き表すための漢宇使用の目安とするものとする。」とあります。昭和六十一年の七月一日付の内閣訓令第一號によりますと、「政府は、本日、内閣告示第一號をもつて、「現代假名遣い」を告示した。今後、各行政機關においては、これを現代の國語を書き表すための假名遣のよりどころとするものとする。」とあります。
 しかし、すべてを一律に常用漢字、現代假名遣で表記をしてしまひますと、弊害も出てしまひます。例へば、國旗國歌法別記第二につきましては、君が代の歌詞、「いわお」という文言がありますが、正しくは「いはほ」と表記をしなければなりません。君が代は和歌であり、意味を斟酌した上で原文に忠實に從ふなら、當然、わ行の「いわお」では間違ひであり、現代假名遣いで表記すべきではない例だと存じます。
 先ほどの「ゐ」と「ゑ」のこともありましたけれども、小學生が親しむやうな小倉百人一首の中でも聲といふ文字ですけれども、表記に、わ行の「ゑ」が出てきます。本來の意味や音質を知るならば、わ行の「ゐ」と「ゑ」といふのも五十音圖に、すべての教科書にやはり載せるべきではないかなといふふうに思つてをりますし、使ふべきとき、使はないとき、その區別をやはり知つてもらふ必要があると思ひます。
 また、改正教育基本法には「涵養」といふ言葉が出てきますが、私、確認したところ、衆議院と參議院で表記が違つてをりました。いただいた資料では表記が違つてをりました。「涵養」にルビを振るならば結構ですが、「涵」の字が平假名といふケ−スが出てきて、非常に間が拔けたばかりか、法律の文章の部分で最も肝となる部分でありながら、意味が薄まつてしまふのではないか、こんな懸念をいたしました。
 このやうに、口語表記によりまして言葉本來の意味が失はれたり、常用漢字にないから平假名と漢字をまぜることで熟語本來の意味が薄められてしまふやうなケースがあつても、行政機関がかうした訓令を金科玉條のごとく大切にして、絶對的、盲目的に現代假名遣,常用漢字にこだはつて表記するのはどうしてでせうか。
 そして、あくまでも目安といふ文言があるわけであります。目安といふのは、通常、絶對的な基準ではなく、例外かどうか照らすべき表記については個々に判断し、そのやうに表記した理由を明らかにしなければならないと考へます。目安やよりどころの定義について、さらに、例外かどうか檢討すべき表記についてはどうするのか、お聞かせください。

○高塩政府參考人
 先生お話ございました漢字及び表記の問題でございますけれども、現在の漢字表につきましては、昭和五十六年に内閣告示、訓令として告示したものでございますけれども、この中では、法令.公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社會生活におきまして、現代の國語を書きあらわす場合の漢字使用の目安を示すものであるというふうに考へてをります。したがひまして、この表につきましては、科學、技術ですとか藝術その他専門分野の個々の表記まで及ぼさうとするものではないといふふうに理解してをります。
 ただ、先生のお話のございました法令、公用文書におきましては、各行政機關が法令や公用文書におきまて、漢字使用につきまして、常用漢字表を踏まへるやう求めてゐるところでございます。
 こうした點は必要だと考へてをりますけれども、ただ、先生から例示のございました漢字の「涵養」といふ文字でざいます。「涵養」の「涵」、この漢字は現在常用漢字表にはございませんけれども、「かん養」、こういう漢字假名まじりで書きますとかへつてわかりにくいといふことがございまして、必要に應じてルビを振るなどの配慮をして常用漢字表以外の漢字を使用するといふことは認められてゐるところでございまして、現實におきましても、文字、 活字文化振興法などにおきましてルビつきの「涵養」といふものが使はれて ゐるといふふうに理解してをります。 また、先生お話のございました現代の假名遣いの話につきましても、これも昭和六十一年に現代の假名遣といふ内閣告示を行つてをりまして、これに基づいて、法令や公用文書においては使用することを原則とする、かういふ形の中で例外といふものはあり得ると考へてをりますけれども、基本についてはこの内閣告示等に沿ふものだといふふうに考へてゐるところでございます。
     〔主査退席、寺田(稔)主査代理着席〕

○林(潤)分科員
 例外があり得るといふことを先ほど答辯でおつしやいましたので、この例外のことについてはきちんと議論をしていただいて、先ほどの「涵養」をルビを振つていただいたことは例外に當然當たるんでせうけれども、やはりさうした言葉の意味を失はないやうな形での表記、これを大切にしなければいけないと思ひます。
 そして、先ぼどの質問に關連いたしまして、そもそも常用漢字表といふものが必要かどうかについて質問をさせていただきます。
 例へば、乖離、間隙、拉致、よく使ふ言葉でありますが、常用漢字のみで表記するとなると漢宇と平假名をまぜて表記をしなければなりません。かなりぱつと見た印象は間抜けな感じがいたします。本當にこれでいいのかと思ひます。
 私も新聞記者の出身ですが、新聞の表記は、義務教膏を終へた入にはすべて理解できるやうにと、できるだけ平易な表現に加へて、固有名詞などを除いて、原則として現代假名遣、常用漢字に表記を統一してをります。かうした中、常用漢字が新たに追加されたことは惡いことではないでせう。しかし、かうした法令、公文書や新聞の表記こそが、むしろ國語に親しむ機會、美しい目本語に親しむ機會を抑制してゐるのではないかとも考へます。
 そこで、常用漢字表は國語施策として必要であるのか、その意義とメリット、デメリットについて簡潔に御答辨願ひます。

○塩谷國務大臣
 ただいまの常用漢字表が必要かどうかといふ御質問でございますが、先ほど來、答辯の中でもお話ししてをりますように、また委員からもその内容に觸れてをりますが、やはり一般社會生活において、現代の國語を書きあらはす一つの目安といふものが必要だと思つてをりまして、これは時代の流れの中で見直しをして、現在も本年三月十六日から四月十六日、この試案の意見公募を行つてゐるところでございまして、やはり一つの社會の中で、社會生活に必要と思はれる漢字を明確にして、それを基本として、特に公文書とか法令とかあるいは新聞、雜誌等に使つていただくといふことで、しかしながら例外を認めてゐるところでございます。
 かういつた國語の問題、特に今その見直しがされてゐるやうな状況にもなつてきてをりますので、我が國としても、さういつた状況を踏まへて、今後この常用漢字をまた擴大していく、あるいはこの必要性も今後また議論しなけばならないと思つてをりますが、今の段階でこれを一遍になくすといふことは、やはり基本的な教育の面も、どこまでそれでは漢字を教へたらいいかといふことも實はかかはつてくることでございますし、そういつた點で、國民の言語生活の円滑化とかあるいは漢字習得の目標等を明確にするためにも、一定の常用漢字のあり方といふのは評價されるべき、また必要であると考へてをります。

○林(潤)分科員
 大臣、御答弁なさつたやうに、書きあらはす自安は私も必要だと思つています。もちろん、すべて歴史的假名遣でやつて舊漢字にせよと言つてゐるわけでも全くございませんし、ルビを振るなりして、適材適所に應じて、これからさらにこれは彈力的にやつていただきたいなと思ひます。先ほど言つた參つの言葉なんかは、私はやはりこれは漢字にした方が意味がきちんと通りやすいのではないかなと思つています。
 國語分科會の漢字小委員會でも、當用漠字表の見直しは必要であるという共通認識があります。漢宇表が必要かどうかも含めて、政府として大いに參考にしながら今後の國語政策に生かしていくことを期待いたします。
 もう時間が迫つてきましたので、最後、端的に伺はせていただきますけれども、世田谷區の日本語の教育特區について質問させていただきます。
 圖語議連でも、特區で使はれてゐる教材を題材にして、實際に子供たちに教へてゐる先生を講師に招いて、教材の内容や授業について意見交換をいたしました。今週も區内の小學校の日本語授業を視察に訪れる豫定であります。
 小學校の學習指導要領も改正され、古典についても高學年から低學年も親しめるようになつたと聞いています。小學校の方は早くとも平成二十三年の學習指導要領實施だとお聞きしましたが、政府としてかうした世田谷區の教育特區の取り組みをどのやうにとらへてゐるかといふ点であります。
 私が見たところ、特區の子供たちは日本語の授業が本当に好きだといふことであります。また、子供たちは和歌や漢詩を原文のままそらんじ、意味や書けるやうに徐々になつていくと聞いてをります。また、古典に親しんでゐる子供を見ることで、保護者たちもまた古典に對してもつと理解を深めようと啓發されて、かうしたことをきつかけに美しい日本語も覺えたり親子のきづなも深まつたりするなど、プラスの連鎖反應が報告されてゐます。
 私はかうした特區の現象を全國的に廣げたいと考へてをりますが、政府としては、かうした世田谷區日本語特區の.成果をどのようにとらえ、ほかの自治體にももしも波及をさせるにはどんなことが障壁になつてゐるか、課題だと認識してゐるか、お答えください。

〇塩谷國務大臣
 世田谷區の日本語の授業については、私も昨年七月に実際に視察をしてまゐりました。
 まづ、教科書自體が古典も含めて大變な充實した教科書で、これは教育長が一生持てる教科書をつくりたいといふことで、まことにすばらしいものだと思つてをります。また、小學校の低學年から俳句や論語や、大人の内容のさういつたものを暗唱することによつて、すばらしい日本語の美しさや響きやリズムをしつかりと習得するやうなことを意欲的に取り組んでをるわけでございまして、古典の指導やあるいは日本の傳統文化の學習については大變すばらしいものと認識をしてをるわけでございます。
 この日本語の授業については特區といふ形で行はれてをりますが、實際に全國的にといふ點については、これはなかなか、さうはいつても簡單に先生方が教へられるものではないといふことで、世田谷區の方も相當訓練もしたわけでございまして、今後さういつたこともあはせて一氣に全國的にといふことはなかなか難しいと思ひますが、この中で教へられてゐる學習の内容については、今後まづは新しい學習指導要領の中で徹底すること、さういふ中で、當然、日本語といふ教科について、大變この世田谷區のものは評價もされてゐますので、また今後檢討していく必要があると考へてをります。

○林(潤)分科員
ありがたうございます。今後、かうした世田谷の特區の例を參考にして、ほかにも取り入れられるやうに、美しい日本語を子供たち、大人たちみんなが親しんで、日本を、そして日本人を好きになれる方向性をぜひ導いていただきたい、このやうに要望して、質問を終はらせていただきます。



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