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國語問題の變遷と本協議會

同胞各位に訴へる
國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。
我々の祖先は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。
しかし、幸か不幸か、大和民族は文字を持つてゐませんでした。中國には極めて發達した文字が有つたので、奈良時代の祖先はこれを借りて國語を表記し、更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて來ました。
然るに、日本民族として最初の體驗である敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字やカナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、好機正に至れりとして、文部省の權力を利用し、敗戰後わづかに内閣訓令告示で、漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。
これは明治以來幾度か國語改革論者によつて提出され、その都度國民の嚴しい批判を受けて葬り去られた案を殆どそのままに踏襲したものです。これ程重大な問題について信頼するに足る代表的文化人諸氏の意見を求めることもせず、國會の審議にかけることもしませんでした。果してこれが戰後の日本の目標たる民主主義的文化國家のなすべきことであつたでせうか。本文へ

國語問題の變遷と國語問題協議會
國語國字問題の起りは、漢字、語の排斥に始まる。そしてそれは國粹主義から漢字を廢しようとするものと、西洋文字を至高として漢字を呪詛するに至つたものとの二つの源流がある。前者には賀茂眞淵などがあり、明治十六年成立の「かなのくわい」などもそれである。後者には本多利明、前島密、柳河春三、福澤諭吉などがある(ただし柳河は假名專用論、福澤は漢字遞減論)。また南部義籌、西周、西村茂樹、森有禮、上田萬年などもこれに屬する(互ひに色彩は異なるが、結局は洋字專用論)。これらはこんにちの知識層、教育界にまで深く影響を及ぼしてゐる。
幕末以來この問題は大いに論じられてきたが、以下略年表の形で示す。

『國語問題協議會四十五年史』

宣言』