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同胞各位に訴へる

 國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。
 さて、我々の祖先は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。殊に微妙で深みのある美的感覺は世界一かも知れません。實際、我々の遠い祖先は今から八千年も前にあの見事な繩文式土器を作つたのです。
 しかし、幸か不幸か、大和民族は文字を持つてゐませんでした。ところが中國には極めて發達した文字が有つたので、奈良時代の祖先はこれを借りて國語を表記し、更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて來ました。これは直ちに眼に訴へて意味を表はす便利な「表意文字」と、日本語獨自の構文を表はす「表音文字」から成る優秀な表記法でありました。
 然るに、日本民族として最初の體驗である敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字、もしくはカナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、好機正に至れりとして、文部省の權力を利用し、新聞社、出版社などを動かして、敗戰後、わづか一年三ケ月、すなはち昭和二十一年十一月に内閣訓令告示で、漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。
 これは明治以來幾度か國語改革論者によつて提出され、その都度國民の嚴しい批判を受けて葬り去られた案を殆どそのままに踏襲したものです。のみならず、これ程重大な問題について信頼するに足る代表的文化人諸氏の意見を求めることもせず、國會の審議にかけることもしませんでした。これでは戰時中の軍部の獨裁といささかも變るところがありません。果してこれが戰後の日本の目標たる民主主義的文化國家のなすべきことであつたでせうか。國語審議會と文部省はこの後次々に「音訓表」とか、「字體表」とか、「送りがなのつけ方」とか、「外國の固有名詞の表記法」とか、何れも不合理にして實行不可能な變革を敢てしたのであります。それらが、今日實際に色々な混亂をひき起してゐるばかりでなく、青少年の學力を著しく低下させてゐることも各位は御承知でせう。 以上が大體の經緯ですが、次にこの問題に關し、幾つかの項目に分けてやや詳しく所信を申し述べます。

一、なぜ、歐米諸國は發音と異つた綴りを維持してゐるのか

 歴史的假名遣ひは現在の發音と異る故に變へるべきだ、と彼ら便宜主義者は言ひます。しかし、歐米各國の國語を考へてみますと、例へば英、米、佛、希の樣な國々では、綴りと發音の相違は吾が國の歴史的假名づかひとは比べものにならないくらゐ甚だしいものがあり、その他、ドイツ、イタリヤの樣に比較的その差の少い國々ですら、綴りと發音とは一致せず、歴史的假名づかひと大體同程度のものであります。それにもかかはらず、これら諸國はその綴りを決して變へようとはしません。これは何故でせうか。

 それは先づ第一に、此等の難しい綴りには、その依つて來る必然の歴史と論埋がある上に、若しこれを變へたならば、從來の綴りで書かれたすべての文化遺産が非常に讀みにくくなるからです。これらの國々には、過去から優秀な文學作品や哲學、自然科學の論文などが數多くあります。それらを國民から遠ざけることは當然自國の文化の衰退を招きます。

 第二に、綴りと發音が甚しく異つてゐても、これら諸國の少年少女は素質が良いために、教育によつて自然にそれを理解し辨別して、何らの支障も來さないからであります。

二、日本人は優れた民族的文化遺産を繼承し得ぬ程劣等か

 さて、眼を我國に轉じませう。英佛その他すぐれた西歐の國々のやうに秀でた過去の文化遺産を果して日本は持つてゐないといふのでせうか。斷じて否です。
 西歐の近代諸國がまだ殆ど蒙昧に近い状態に留つてゐた七、八世紀の頃、すでに我々の祖先は、古事記、日本書紀、風土記、萬葉集などすばらしいものを作り上げました。又、少し降つてフランス文學最初の作品である敍事詩が十一世紀末に現れたのに對し、その百年前に、日本では若い女性が今も世界的傑作である「源氏物語」を書いてゐたのです。その後、主なものだけを拾つても、「古今集」以下の八代和歌集、「平家物語」、道元や親鸞の著書や語録、「徒然草」、世阿彌の謠曲と能の美學、芭蕉の俳諧、西鶴の小説、近松の戲曲、荻生徂徠や本居宣長らの學問的業績を經て、明治に入つて後は、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、内村鑑三、寺田寅彦、柳田國男、萩原朔太郎、宮澤賢治、齋藤茂吉、數へ上げればきりがありませんが、いづれも貴重な勞作を生み出したのです。これらの業績が今後は讀み難くなつたり、從來の國民との間の斷層を作るやうになつたりしたら、日本文化の損失は量り知れぬものがあります。我國は決して西歐諸國に劣るものではありません。
 殊に、最近、日本の古美術や禪や能樂や建築や庭園や書道や點茶や生花など深みのある美しい文化所産に歐米諸國民が眼を見はつてゐる事實をどう考へるべきでせう。フランスがルーヴル美術館門外不出の至寶「ミロのヴィーナス」をはるばる日本に送つてくれたのも、彼らが日本民族の文化的優秀性をどのくらゐ高く評價してゐるかの明かな證據であります。大正の大震災前後六年に亙つて日本に大使として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、第二次大戰中(昭和十八年の晩秋の一夜)日本が壞滅するのを虞れて、親友のやはり大詩人であるポール・ヴァレリーに次のやうに言つたのです。「私が亡びないやうに願ふ一つの民族がある。それは日本民族だ。これ程注目すべき太古からの文明を持つてゐる民族は他に知らない。……彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。」と。さすがにクローデルは大詩人です。彼は日本の多くの文化人などと呼ばれる人々よりもはるかに日本の良さを知り、それを愛してゐたのです。日本の現状はクローデルに對して恥しいではありませんか。
 なほ、我が國語國字の重要さは、單に文章の上だけに止まりません。法隆寺、藥師寺、唐招提寺をはじめとする南都の諸寺や、鳥羽僧正の「鳥獸戲畫卷」その他日本獨特で世界に類のない繪卷物、運慶らの彫刻、雪舟らの水墨畫、能の舞樂、利休の茶、桂離宮の建築と庭、光悦の工藝、宗達や大雅らの繪畫、春信や北齋の浮世繪など、又は世界的に名高くなつてゐる生漉の日本紙とか、禮儀作法とか、これら直接には文字と開係なささうに見える諸々の傑作が實は國語國字と切つても切れぬ精神的紐帶を有してゐることは少しく考へてみれば誰にも解ります。

 次は子供の問題です。「行かう」と書いて「行こう」と讀み、「言ひました」と書いて「言いました」と讀むことを難しく思ふほど、彼らは劣等でせうか。とんでもないことです。兩親と共に歐米に在る日本の子供達が彼の地の學校で拔群の成績を示すことの多い事實はよく知られてゐるところです。又最近東京の四谷第七小學校や新潟龜田東小學校等で行はれてゐる教育に於て、低學年の兒童が喜んで多くの漢字を學び、三、四年で新聞も讀み得ることが識者の注意をひいてゐます。要するに日本人は優秀な民族であり。日本の文化は卓越してゐるのです。

三、明治以後、國語國字簡易化運動はどうして起つて來たのか

 ところが、明治初期から大正、昭和の時代に至るまで漢字排撃や假名づかひ改訂が數囘にわたつて試みられたのは何故でせうか。これは歐米の進んだ文化に驚き、恐れ、ひたすらそれに追附かうとした人たちの焦燥感と劣等意識の致すところでした。これ等の論者が彼らなりに愛國の至情からこの擧に出たことは諒とすべきですが、それは不幸にして西歐の文化に目がくらんだ故の性急な短見と、日本文化の優秀さに關する無自覺に依るものでありました。

 これらの愚かな變革の企てに對して、明治四十一年には森鴎外をはじめとする明星派、大正十四年には山田孝雄、芥川龍之介らが行つた強い反對は、高邁な識見と國文學、國語の傳統に對する深い敬愛に根ざす當然の行動でありました。今囘の愚擧に對しても、昭和二十三、四年まで、心ある幾多の人士は極力反對を表明してゐましたが、悲しいかな當時の社會的混亂と國民生活の窮迫はこの熱を實らせる餘裕を與へなかつたのであります。

四、「現代かなづかい」は果して合理的で便利であるか

 萬葉集などにあらはれてゐる良質な言語を有した我らの祖先が漢字を採用したことは、實に「鬼に金棒」でありました。而してやがて假名が發明されたことは、この「金棒」の質の向上であつたのです。日本語はその頃すでに動詞、助動詞、形容詞の活用や助詞の用法などすこぶる論理的に發達してをり、假名はこれらを遺憾なく表現することが出來ました。又その後、文語と口語の必然的連繋もこれで正確に示されてゐたのです。

 然るに「現代假名づかい」はこれらの論埋を無視し、文語と口語の聯關をも無殘に斷ち切つてしまひました。例へば、口語の「言はう」は文語の「言はむ」から來てゐることを示しますが、新假名の「言おう」ではその連絡が解りません。

 又、「ヂ」や「ヅ」を廢してほとんどすべてを「ジ」と「ズ」で表はし、「地震」や「地面」に振假名をつけるとき優秀な兒童が論理を考へて、「ぢしん」「ぢめん」と書けばそれは誤りであるとして先生は×をつけなくてはなりません。「望月」といふ姓にも「もちずき」と振らなくては間違ひだといふのです。このやうな論理的關係を假名づかひについて教へることも戰前までは日本兒童の頭腦訓練に大切な恰好な手段の一つでありました。言葉をただ機械的に憶えるのは鸚鵡や九官鳥にも出來ることです。論理を無視したら頭腦は低下するにきまつてゐます。

五、當用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか

 「當用漢字」、「音訓表」、「字體表」、「送り假名」の制定もきはめて獨善的であつて、明治、大正、昭和前半に至る古典が讀めなくなるのは勿論のこと、現在日常の新聞雜誌、手紙を讀むのにさへ青少年を苦しめてゐます。文部省に輕率に同調した新聞社も自繩自縛に陷つてゐます。まづ漢字を千八百五十字に限るのも無理ですが、動植物の名を假名書にするといふのも非常識です。たとへば當用漢字の中には猫も猿も狐も兎も狸も、烏も雀も鶯も鶴も、鯉も鯛も鮎も入つてゐません。植物では柿や栗もなく、藤も桐も萩も楓もないとは美しい日本の四季を何と味氣ないものにしたことでせう。なほもう一つの重大なことは地名や人名です。當用漢字にない地名と人名は非常に多いのですが、これはもちろん祖先以來の文字を尊重してゆくべきですし、次に名前は兩親が愛兒の將來に希望を託して選ぶのにそれがたまたま當用漢字にないと言つて役所が受けつけないのは基本的人權の無視です。これは人間にとつて最も大切な精神の自由といふものを全く輕んじた暴擧ではありませんか。

 「音訓表」も論外の沙汰です。一人と書けば「いちにん」とのみ發音して、「ひとり」とは讀ませず、父、母のよみ方は「ふ」「ぼ」「ちち」「はは」のみで「お父さん」、「お母さん」は「おとうさん」「おかあさん」と假名で書かなくてはならず、昨日、今日、明日も「きのう」「きよう」「あす」と書かなくては間違ひとはどうです。「時計」も「景色」も音訓表によれば、「とけい」「けしき」と讀めず漢字で書くことも出來ないことになつてゐます。これが一體、文部省の、又内閣の、いや日本人のきめることでせうか。また「字體表」では「專」「團」「傳」を「専」「団」「伝」としたり、「濁」「獨」「觸」を「濁」「独」「触」、「佛」「沸」「拂」を「仏」「沸」「払」としたりするやうに、漢字の系統と統一が亂されてゐます。

 次に外國語のカナ表記法ですが、(DI)をディ又はヂとせずに、すべてジにしたり、(VA・VI)をヴァ・ヴィでなくバ・ビにしてしまつたのは實に亂暴であるのみならず、一方で英語の發音を折角、念を入れて教へてゐるのと甚しい矛盾ではありませんか。

 要するに、國語・國字のことは優れた文化人の自然の指導と國民の良識に委ねて置くべきで、決して非常識な役人の強制などに任せるべきではありません。西歐の文化國は皆さうなつてゐるのです。マルティン・ルッターが聖書をドイツ語に譯してそれが立派であれば、これはドイツ語の模範となりゲーテが美しい戲曲や小説を書けば、それがお手本となつてドイツ國民はこれに從ふのです。内閣が訓令や告示を出すのではありません。

六、難しい國語國字は文化を遲らせるか

 日本語の漢字と假名づかひが或程度難しいことは事實です。しかし、このことが果して日本の文化を遲らせて來たのでせうか。これは逆に「言語文字の易しい國に文化が發達してゐるか、否か」を考へるとすぐ解ります。簡單な言葉は殆どみな文化の未開發な國々に限られてゐることを考へて下さい。さうしてその反對に、優秀な文化を築いた國々ほど言語文字は難しく複雜で含蓄に富んでゐる事實を見るべきです。それでなくては發達した理性や感情の正確な微妙な表現を十分に果すことができないからです。

 なほ、これに關聯するのは、明治維新以來わづかに七、八十年で我國が歐米の一流國に伍するに至つた理由です。日本文化は模倣にすぎぬとか、他の影響に依つてのみ進んだとかヒットラーやその他考への淺い幾多の人々は言ひました。しかし、一體、影響を受けるといふことも、模倣をするといふのも、既にそれをなし得るだけの實力や受入態勢ができてゐなくては不可能です。奈良時代に中國や印度の文化を受入れ、これを咀嚼し吸收することが出來たのは、文字こそ持たなかつたとは言ヘ、何度も申す如く、萬葉集などにあらはれてゐる優秀な美しい國語をすでに持つてゐたといふ日本人の進んだ文化の實力があつたればこそです。

 明治以後に、西歐の進んだ文化をあれだけ大量に、而も短時日に消化し得て、湯川秀樹氏を始めとする世界的な幾多の自然科學者を生み、その應用技術に於ても同様な成果を擧げ得たといふことは、やはり徳川時代の末頃までに西歐文化を受容するに足る準備をすでに十分具へてゐたからに他なりません。無から有は生じない道理です。然らばその準備は何がつくりあげたのでせうか。

 それは、大和民族固有の文化に、中國と印度の文化が加はり、これを自家藥籠中のものとして、日本人の理性と感覺と感情と意志とを練磨したといふ實績がつくりあげたのでありますが、その練磨の中の重大な一要素としてすでに發達してゐた國語國字が儼として存在したことを忘れるわけにはゆきません。且つ西歐語の飜譯は漢字があつたからこそ可能だつたのです。すべての自然科學の用語はもし漢字を使はなかつたらどうなることでせうか。ローマ字論者やカナモジ論者に訊ねたいものです。

 ついでに申せば漢文の教育も再び盛にすべきであります。世界文化で一流の地位を占めてゐた中國と印度の文化を攝取し、自己の血肉にまでした日本は、現在に於いて佛教や儒教や中國文學の正統な後繼者です。漢字を著しく變形した今日の中國人民はやがて父祖の古典が讀めなくなるのではないでせうか。もしさうならば、これは彼らのためにゆゆしい大事です。又傳教大師、弘法大師以來、榮西、道元、法然、親鸞、日蓮、白隱等の俊秀を出して來た日本の佛教は、本家の印度以上に釋迦牟尼の思想を傳へて來てゐると言へます。ところが、漢文を我々が讀めなくなつたら、この世界の至寶を人類のために役立てるべき仕事が衰へてしまひます。却つてそのうちに、佛教の研究はアメリカ人が指導するやうになるかも知れません。現に日本のすぐれた若い佛教研究者が何人かアメリカの大學に學びに行つてゐます。ライシャワー大使の仕事も漢文に依るものです。

七、青少年の學力低下

 最近、我國の大學生を始め、高校生、中學生の學力、思考力、創造力が著しく低下して來たといふ事實が、多くの學者や現場の教育者や各界の識者から指摘され憂慮され始めてゐます。この一因としても、戰後の國語國字の變革が大いに考へられると思ひます。まづ第一に言語文字を輕んずる文部當局の精神は、當然青少年の文化意欲を弱めます。さうして國語國字に於ける鍛錬が少くなり、思考力を養ふことがおろそかになれば知能が衰へるのは自然です。オリンピック競技の選手がどのくらゐ苦しい猛練習に堪へてゐるかは周知の事實です。文化的なオリンピックの試合、つまり、世界の文化を進歩させて行く仕事に日本が優秀な成績をあげるためには、これと同じやうな鍛錬が必要なことはどなたにもお解りでせう。アメリカでは先に哲學者デューウィの近視眼的な教育論に從つて小學校教育を安易にした結果、少・青年の學力の著しい低下を招いたため五、六年前から激しい批判が起つてゐます。ルドルフ・フレッシュの「ジョニーはなぜ本が讀めぬか」といふベストセラーを續けた本はこれに對する警鐘でした。

八、國語の改惡は國を滅ぼす

 最後に注意すべきは、戰後十何年で日本がこれだけに復興し、自然科學やその應用である工業の技術が著しく發達して、世界の一つの驚異になつてゐるやうですが、この幸福をもたらしたのは、戰前の國語と國字で教育されて來た三十代以上の人々の力であつて、戰後の便宜主義・安易主義に甘やかされて來た二十代とそれ以下の青少年の仕事ではないといふことです。

 外國に負けぬやうにと「漢字廢止」や「新假名づかい」などを主張した改革論者、その他の論者の憂ひは幸に杞憂であつたわけで、逆にもし、彼らの主張が通つてゐたならば、恐らく戰前までの進展も、戰後の立直りもあり得なかつたであらうとさへ思はれます。それだけに、安易を強ひる國語教育によつて成長する今の青少年たちが國の中堅となり指導階級となつた曉が心配されるのです。 且つ、今の文化人たちのうち、第一流と目される人々の多數が現在の悲觀的な大勢にも拘らず、傳統的な國語表記を依然として守つてゐる事實を何と見るべきでせうか。今の青少年が明治、大正、昭和の中期までの古典的な文章はもちろんのこと、現在の一流の人々の文章まで讀むのに抵抗を感ずるとは、彼らはまことに氣の毒な犧牲者であります。一流の文章が讀みにくく二流、三流以下のものだけ讀むといふのは、日本を二流、三流の國に低落させることでなくて何でせうか。「當用漢字は五年にして日本文化を滅ぼす」と言つた岡潔博土の豫言は、大數學者の鋭い直覺だらうと思ひますが、今や不幸にして實現しつつある状況です。ついでにいへば湯川博士は幼少の頃經書の素讀を受け、青年時代には莊子や老子を好んで讀んださうです。國文や漢文を熱心に勉強することは自然科學の思考力をも増大するといふのが今の定説です。

結  論

 以上八項目にわたつて考へて來たことから、我々は次の結論に到達せざるを得ません。即ち、戰後の愚劣な國語國字變革は明かに日本文化の下落を來すものであり、これは明日からでも白紙に戻して愼重な再檢討を始めるべきであるといふことです。

 ところで、右の趣旨は結構だが、既に改革後二十年近くたつてゐる今、再びやり直しをするのは、更に混亂を來して大變だ、といふ心配をなさる方々もあるでせう。しかし、これは日本の百年、千年先の幸福のためです。しばらくの混亂や苦勞はものの數でなく、又優秀な日本の少年少女は四、五年後には改善された國語教育に慣れてしまひます。

 それについては、依然として便宜主義、安易主義の人々が主力を占める文部省の「國語審議會」は全く頼むに足らず、危機に直面する日本の文化を救ふためには、心ある民間の方々の御贊同を得て一大國民運動を起さなくてはなりません。

 しかし、今の國語審議會は頼むに足らずとして、この國民運動を起し、戰後の國語國字の改惡を一應御破算にして白紙に戻すべきであるとしても、さてその後をどうすれば良いのでせうか。惡いものを破壞するのはよいが、その後を如何に建設すべきか。これについて我々は次のやうな考へを抱いてゐます。それは、今の「文部省の國語審議會」を「發展的に解消」して、獨立した一つの新しい國家機關を創設することです。この機關は、數十人の會員から成り、その構成は、日本の國語・國文學を眞に愛する、國民の誰もが信頼し、納得できるやうな、第一級の文學者、評論家、語學者を中心とし、これに配するに、同じく第一級の自然科學者、哲學者、美術家、音樂家、藝能家及び日本文化を眞に愛する若干の達識の人士を以てすべきであると考へます。これは恰も、十七世紀から存續するアカデミー・フランセーズ(フランス翰林院)のやうに、國語の正しい傳統の保持と純化のために、その時代の日本文化を代表する最高の人々によつて、恆久的に持續せらるべさであります。

昭和三十九年六月 國語問題協議會
※この提唱は當時の本會常任埋事市原豐太氏によつて起草され各界の識者に訴へかけたものである。

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