「我つくさなむ」について        上田博和


  若井敏明『平泉澄』(ミネルヴァ日本評傳選 平成十八年四月・ミネルヴァ書房刊)の副題に「み國のために我つくさなむ」とある。本文によると、これは平泉がロシア革命の直前に詠んだ歌「身も滅び家も廢れよひたすらに み國のために我つくさなむ」の下の句である。「つくさ」は動詞「つくす」の未然形であり、これに「なむ」が続くのだから、この「なむ」は所謂「あつらへ」の終助詞で、「てほしい・てもらひたい」といふ意味である。即ち「皇國のために私はつくしてほしい」と言ふのである。
 しかし、「あつらへ」とは他に対する願望であつて、「私はつくしてほしい」はいかにもをかしい。作者の意圖は「私は盡さう」といふ意志表示であらう。それをいふなら「我つくしてむ」である。この「て」は助動詞「つ」の未然形で強意を、「む」も助動詞で意志を、それぞれ表す。あるいは「我はつくさむ」でもいい。が、「我つくさなむ」は變だ。
 インターネットで「つくさなむ」を檢索して、乃木希典の明治四十五年二月の歌「國のため力の限りつくさなむ 身のゆく末は神のまにまに」に出會つた。これも「力の限りつくす」のは作者自身であるから、「つくさなむ」では意味をなさない。やはり「つくしてむ」であらう、字餘りだが「我つくさむ」でもいい。もしかすると、平泉の「み國のために我つくさなむ」は乃木の「國のため つくさなむ」が念頭にあつたのかもしれない。
 ところで、明治天皇には「ほどほどにこころをつくす國民のちからぞやがてわが力なる」「國のため身のほどほどに盡さなむ 心のすすむ道を學びて」といふ御製がある。あとの歌の「盡さなむ」は「つくしてほしい」といふ他(臣民)に對する願望であり、文法が正確である。
 明治天皇の「盡さなむ」を、乃木が誤解して模倣し、「自分が盡す」意味で「つくさなむ」と詠み、平泉が更に「つくす」の主語を「我」と表現することによつて「我つくさなむ」といふ奇妙な一節が生れたのではないかといふのが、わづかな調査に基く私の現在の推測である。

     
 明治書院編輯部編『改訂実用文法正誤法』(昭和四年二月・明治書院刊)の「なむ」についての記述は次の通り。 「なむ」は希望といつても此の語は自己の希望を述べるのではなく他にあつらへてさうしてほしいといふ意味を表はす。
   (誤)我歸らなむとすれども止めて放さず。
   (正)我歸りなむとすれども止めて放さず。
   (「テシマハウ」の義)」(一六三頁)
 最近では島内景二が『楽しみながら学ぶ作歌文法 下巻』(平成十四年十一月・短歌研究社刊)で、@「花咲かなむ」A「花咲きなむ」「かなりの歌人でも、@とAを混同した意味不明の歌を作っている」(四五頁)と述べてゐる、その具體例を知りたい。

     
 古文の授業で「花咲かなむ」と「花咲きなむ」を比較して形式と内容の話をするのが常である。兩者は「か」と「き」とが異つてゐるだけに見えるが、それは文字の上でのこと。語として見たとき「咲か」と「咲き」は形式は異るが内容はどちらも「咲く」で同じである。「咲か」「咲き」「咲く」といふ變化は活用と呼ばれ、「形式の變化と内容の不變との矛盾」(三浦つとむ)である。二つの「なむ」は形式は同じだが、前者の「なむ」は(上の「咲か」が未然形ゆゑ)終助詞、後者の「なむ」は(上の「咲き」が連用形ゆゑ)助動詞「な」プラス助動詞「む」で、内容は異る。形式と内容はこのやうに一致しないといふ話である。なほ、現代語譯は「花咲かなむ」は「花が咲いてほしい」、「花咲きなむ」は「花がきつと咲くだらう」である。
(うへだ ひろかず・東京都立高等學校教諭、本會評議員)