國語問題解決の指針(9‐30)

   終戰直後の國語改革が手直しされたことで、國語問題は決着したと見る者もあるが、問題の所在が曖昧になつただけでなく、改定することで戰後の改革が裏打ちされ、事態はより惡化し深刻化してゐるのではないか。ここまで本書を讀まれた讀者には、この問題にどう對處すべきかは明らかであらうが、以下、問題解決の指針を示す。

 一、今日までの國語に關する内閣訓令・告示はすべて破棄し、今後いかなる案も訓令・告示によつて公布してはならない。一時代の一行政機關が國會の決議もなく、文化の根幹である國語を改革したり、規制したりする權限はない。

 一、「現代假名遣い」は廢棄し、歴史的假名遣に戻し、學校教育はすべて歴史的假名遣で行ふ。漢字假名交り文を以て表記の正則とするならば、字音假名遣は記憶する必要がなく、隨つて、一般社會で假名で書かれる字音のみを教へればよい。  一、基本漢字表を作成するのはよいが、この表にないからといつて、同音の別の漢字で代用したり、別の言葉に言ひ換へたり、熟語の一部を假名書きにしたり、漢字表を絶對視したりしてはならない。

 一、新字體は廢棄して舊字體(正字體)に戻す。新字體採用前の新聞等で使用されてゐた略字(既述の朝日新聞の『標準漢字の研究』では百字)の使用については別途檢討する。

 一、音訓の制限は撤廢する。

 一、「送り假名の付け方」は撤廢し、送假名は活用語尾を送ることを原則とし、慣習を重んじる。但し、統一することに拘泥せず、個人の自由に委ねる。

 一、一般社會で普通漢字で書かれる言葉は、小學校一年生の初めから漢字で提出する。隨つて、學年別漢字配當表はもとより、いはゆる教育漢字は廢止する。
 一、何はともあれ、小學校の國語教科書を改善しなければならない。平假名ばかりの、いはばお粥のやうな文章ではなく、格調の高い名文を現行の五倍・十倍位載せる。消化し切れないと思ふのは、兒童の能力を見縊るものである。教育方法に工夫が足りないからである。さうした努力なしに國語の將來に展望は開けない。

 一、マスコミ關係者の國語に對する安易な姿勢を改めなければならない。常用漢字表にないといふ理由で、別の言葉に言ひ換へたり、熟語の一部を假名書きにしたりしない。規制を解き、振假名を活用し、もつと自由に書くべきである。

   平成十五年十二月二十六日の新聞報道によれば、「曾」の字を含む名前をうけた出生屆を區役所が受理しなかつたのは不當だとして、父親が提起した審判で、最高裁第三小法廷は「『曾』を使った氏や地名は多く、國民に廣く知られている」として名前に使用することを認め、區役所に出生屆を受理するやうに命じた一審、二審の判斷を支持して決着した。
 これは劃期的なことで、常用漢字(一千九百四十五字)と人名用漢字(二百八十七字)以外の漢字を名前に使へる途が開かれたと言へよう。ただ、「國民に廣く知られている」といふ條件がついてゐるから、まだ完全に自由になつたとは言へない。一日も早く、無條件で命名の自由を認めるべきである。その後、法制審議會は人名用漢字として四百八十八字を追加することを決定したが、字數は問題ではない。戸籍法による規制を解除すべきである。

 平成十五年十一月五日、文化審議會(中央省廳の改革によつて文部省は文部科學省となり、國語審議會に代つて文化審議會が發足した)の國語分科會は小學校卒業までに常用漢字(一千九百四十五字)の大半を讀めるやうにする。そのためには「心ぱい、せい長」等の表記をやめ、初めから「心配、成長」と表記し、必要に應じて振假名をつけて早くから漢字を兒童の目に觸れさせる。これに伴ひ小學校の國語の時間數を大幅に増やすべきだといふ提言を行つた。及び腰ながら、文化審議會が漸くここまで來たかといふ感慨を禁じ得ない。この提言が實行されれば、状況はかなり好轉すると思ふが、願はくは、常用漢字の大半などと言はず、それ以外の「梨、奈、岡」「熊、狐、鳩」「柏、椿、藤」等、一般社會でしばしば見かける漢字はどしどし教科書に採入れて貰ひたい。また右の提言とは反對に、週五日制に伴ひ小中學校の國語の時間が大幅に減らされ、その煽りで鴎*外や漱石の作品が教科書から締め出されることになつた。實に愚かなことと言はざるを得ない。