渡部昇一の『國語のイデオロギー』(八の38)

 昭和五十二年九月、渡部昇一の『國語のイデオロギー』が出版された。渡部は「一般言語學では、言葉の變化という場合、語彙(ヴォキャブラリー)の問題と統語(シンタックス)の問題を峻別する」が、日本語の混亂は「ヴォキャブラリーだけの話」で「少くとも言語の本質であるシンタックスに關する限り、心配は全く無用である」とし、「現代の日本語に横文字が多いという。これだけ新しい文物が歐米から流入してくる時代には當然の話ではないか」「外來語や從來の基準から一寸はずれた言い囘しなどの出現、あるいは氾濫は少しも憂うべき現象ではなく、そういう時代こそ、その國の文化の脱皮、飛躍が準備されているのだと見てよいということになろう」「氾濫する新語、外來語は日本人の知力の活發さ、新事態への適應能力の強さを示すものである」と述べ、「日本語の未來については絶對的に樂觀的である」と言ふ。渡部の樂觀は日本語の器量への信頼から來てをり、「日本語の器量というものが、とほうもなく大きくなりつつあることは何人も否認しえぬ事實」であり「厖大多種な外國文學を飜譯しうることは日本語の生命力を、適應力を、生産力を、簡單に言って器量を端的に示すものである」と述べてゐるが、シンタックスさへ健在ならそれでよいのだらうか。昨今の「チョベリバ」「ドタキャン」「タクる」「オナチュー」の如き言葉や外國語をそのまま日本語の中に混入する言ひ方に接しても不安はないのだらうか。命さへあれば、鼻が曲らうが腕が折れようが、皮膚が爛れようが髮が拔け落ちようが構はぬのだらうか。

 なほ、渡部は「國語に劣等感を示す人が出てきたのは主として明治以後」で「特にこの前の大戰後はその劣等感がかなりひろまり、志賀直哉の日本語廢止論という極端な例から、ローマ字化論、カナ書き論まで、劣等感にもとづく國語改革論が猖獗を極めた。そして國家がそれに一枚加わった點で、日本にも事實上のアカデミーがあったことになる。日本のアカデミーはフランス式の『慣用』によるのではなく、イギリス流の『理性』と『合理』によるものであった。別のことばでいえば、安手の啓蒙主義と實用主義によるものであり、その根には、國語性惡説がひそんでいた」「國語に國家が干渉することは明治まではなかった。特に戰後のような制限や規定を目的とする政策は、全く日本の國語の傳統になじまない」と述べてゐる。

 昭和五十二年十二月に出版された吉田金彦の『ことばのカルテ』は我々が何氣なくつかつてゐる「もしもし、こんにちは、とても、だいなし」など約百の日常語の生立ちや性格を解き明かさうとしたものだが、「Y 日本語スケッチ」において「まさにナンセンスな"泡沫言語"の氾濫である。ことばの使い捨て時代、まさに新語・ファッション語・ナンセンス語のパニック時代といえるであろう」「新語も流行語も、方言も俗語も外來語も、やがていいふだん語として、取り入れられるべきものは取り入れ、そして豐かな美しいふだん語に成長させたいものである」「日本語は亂れているとよく嘆かれる。が、このような話しことばの對流の中から、いいふだん語の習慣が育ってゆくのである」と述べてゐるが、吉田の思はく通りになるとは思はれない。また、さうなることが望ましいとも言へない。

 昭和五十三年二月に出版された寿岳章子の『日本語の裏方』は歌謠曲の歌詞、流行語、諺、辭世、雙六の言葉、七五のリズム等を取上げ、日本人の心の深層を究明しようとしたもので、寿岳は「ことばを研究することは人間を研究することである」「まこと七五調は話藝の大切な形式であった。日本の民衆の心に殘り、人の胸に火をつけてゆく大事なパターンであった。その限りにおいては、七五は永遠の律であろう」「長い日本の庶民の歴史において、どんなにことわざは生きるよすがとなったことだろうか。ことわざなしには我々の御先祖は生きられなかったということになろう」「日本にはみじかいことばにこめられた思想とでも言うべきものが、かるた・和歌・俳句・流行語・ことわざというような形をとって私たちの暮らしの中にみごとに存在している。こんな風に竝べたてるとなるほど日本だなあとしみじみ思う」と書いてゐるが、殘念なことに最近七五調は崩れ、かるたも諺もあまり使はれなくなり、「日本だなあ」といふ思ひは薄れつつあるやうに思はれる。