四宮恭二の『文痴追放』(八の37)

  昭和五十二年一月、四宮恭二の『文痴追放』が出版された。四宮が名付けた「文痴」とは「現象として出ている結果的事實からすると、つまるところ、『文字知らず』ということになるのだが、しかしそれは必ずしも知性または知能に根ざすものではなく、むしろ『總じて文字的感覺に弱く、無神經なところからくる』いわば感性的な『文字オンチ』現象」を指してゐる。四宮は山と積まれた大學生の答案を前にして「これはひどい、ひどすぎる」と溜息を吐き、「よくまあこれで中學・高校を通って大學まできたな」「こんな答案を書く學生がわんさとトコロテン式に社會に送り出されるのでは困る。受取る側の役所や企業が文句をいうのも無理はない」と思ひ、學生の誤字・宛字・珍語・迷句・愚文等を集めて分析し、更に一般社會に見られる言葉の誤用をも取上げてゐる。

  四宮は「原因は結局、戰後の國語政策の混亂にある。今の若いものたちは、いわばその犧牲者なのだ」「要するに、漢字は國家權力によって制限されたり、曲げられたりすべきものでなく、國民の言葉として、國民の識字度にまかせて自由に使わせておけばいいと思う」と國家權力による統制に反對してゐる。が、その一方「現代かなづかい」については「すでに四半世紀のいやな歴史的經過とはいえ、子供たちのなかにもう定着してしまっていて、今これを『舊かな』に戻すことは、大へんな混亂を生ずると思います。だから、わたくしは殘念ながら、これだけは目をつぶって後世の審判にゆだねたいと思う」と妥協してしまつてゐる。四宮同樣、歴史的假名遣に戻すことを諦めてゐる有識者も少なくないが、歴史的假名遣に戻しても大した混亂は起らないだらう。「現代かなづかい」の使用百年經たうが二百年經たうが、「にせもの」は「にせもの」であり、どこまで行つても歴史的假名遣の「まがひもの」であることに變りはない。

  翌五十三年十二月に四宮は『その文字そのことば』を出版し、「毎年送り出される『先生』という名の文痴若者たちによって與えられる子どもたちへの影響が、懸念されるのである。次の、その次の、またまた次の世代が、順繰りに『先生』と同じ情けない日本語環境のなかに卷き込まれていくのが、恐ろしいのである」と憂慮してゐる。そして、「當用漢字に代表される戰後三十年の國語政策こそは、この廣汎な文痴公害の發生源だつた」と述懷してゐる。また國語審議會の「常用漢字表案」について、「世間の一部の買いかぶりにもかかわらず、所詮『當用漢字表』の古看板の單なる塗り替へに過ぎないものである」と斷じ、「ともかく、文字統制、國語統制は、文化政策の邪道といわなければならない。そんなことよりも、もうこれ以上若者たちを文字離れさせないことに知惠をしぼってもらいたいものだ。若き文字障害者たちの累々たる姿を見るのは、もうたくさんである。必要なのは、思い上った文化政策よりも、地道な教育政策ではないだろうか」と訴へてゐる。