鈴木の『閉された言語・日本語の世界』(八の29)

 鈴木孝夫は明治以降の言語學者には見られない新しい視點を言語學に大膽に採入れた言語學者であり、昭和五十年三月『閉された言語・日本語の世界』を出版した。新しい視點とは、簡單に言へば、言語を人間の思想とか文化、つまり人間の生き方として捉へるものである。その結果、當然のことながら、從來の學者のやうに日本語を西洋の言語學によつて位置付け、評價するといふ愚から免れてゐる。もつとも「新しい視點」と言つても、この視點は夙に福田恆存等によつて提起されてをり、新しいとは言へないかも知れないが、言語學の分野においては、新しいと言はざるを得ないほど從來の言語學には文化的な視點が缺如してゐたことになる。
 明治以來、日本語は難しい、非合理的である、取分け漢字は近代化や進歩の障碍になつてゐるといふ偏見や劣等意識に振り囘されてきたが、鈴木はどうしてさうなつたか、どうしたらそこから脱け出せるかを具體的に示してゐる。そして「日本語は大言語である」とし、日本語の海外普及に關聯して「なによりも必要なことは、一般の日本人自身が日本語の國際場裡における重要性に目覺め、日本語に對する誇を持ち、日本語をかけがえのない大切なものと自覺することである」と述べてゐる。
 同書の三年後に鈴木が出版した『ことばの人間學』(昭和五十三年九月發行)で注目されるのは「言語、言葉は武器なのだという發想を我々は持つべきである」「ところが、日本人には言葉を武器として對外的に用いた經驗が無い。國内ですら無いのである。日本人にとって、言葉というものは理解しあった者同士がお互いの親近感をたかめ、一種の心理的同調を求める慰めの手段であって、考えの異なる人間を種々の角度から説得し、あるいは攻撃し、そして自分の考えを通すという、相手を操縱する道具だというつかい方が日本人には缺如している」といふ指摘、また日本語を「日本語教」といふ宗教に見立てて世界に廣めようといふ發想である。更に鈴木は「後書」において「近代の歐米の言語學に見られる著しい特徴」は「構造や機能を解明することに重點が置かれ」たことにあり、「多くの學者の主目標は、言語現象の形式化、抽象化にあつたから「言語の學問から人間臭が失われ」てしまつたが、「私が目標とするものは、言ってみれば《人間學としての言語學》なのである」と説明してゐる。國語改革論者に缺けてゐるのは言語文字を生きた人間學として捉へ考察する視點である。