市原豐太の『内的風景派』(八の23)

昭和四十七年三月に出版された市原豐太の『内的風景派』は、日本及び日本人への深い愛情に根差してをり、日本人であることの誇りや喜びを感じさせる。「クローデルの言葉」として、詩人であり關東大震災の前後六年に亙つて日本駐在大使を務めたクローデルが日本の敗色が濃くなつてゐた昭和十八年の秋に「私が、決して滅ぼされることのないやうにと希ふ一つの民族がある。それは日本民族だ。あれほど興味ある太古からの文明は他民族には知らない。あの驚くべき最近の發展も私にはすこしも不思議ではない。日本人は貧乏だが、しかし高貴だ」とヴァレリーに語つた話を紹介し、戰後の國語國字の改惡によつて「長い歳月をかけて磨いて來た美しい寶玉を、粗雜な殘酷な鶴嘴で壞されたまゝでは、クローデルに會はす顏がないではありませんか」と訴へてゐる。
また「僞惡醜日本語」では「漢字制限の結果や現代假名づかひそのものが『僞惡醜』なばかりでなく、それを決めた過程も、正にこの三つの形容詞を冠すべきものであつた」とし、フランスのアカデミー・フランセーズに倣つて「日本でも、誰もが信頼し得る現代の第一流の文學者・國語學者・藝術家・自然科學者その他博識の士など四五十人を選んで、まづ、戰後の・僞惡醜・の決め方をした國語審議會の決定を、一應御破算にし、白紙に還して、徐ろに、愼重に、百年・千年先の日本文化のため、悔を殘さぬやうな再審議をするのが宜しいと私は考へる」「要するに、國語國字の問題は、長年月の間に、多くのすぐれた文學者がその作品に用ひたのを、民衆がおのづから手本として從つて行けばよいことであつて、政府の役人などがきめ、まして強制すべきものではない。 殊にそれが一握りの偏つた意見の人々の、火事場泥棒的な策略に引ずられた場合とあつては論外である。まことに・僞・にして・惡・にして・醜・である」と述べてゐる。


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