コンピュータ時代の假名遣(八の18)

倉前義男は『不二』(昭和四十三年九月號)に「二十世紀産業革命と核防條約」を書き、その末尾に「追記」として「最後につけ加へたいことは、コンピューターにどんな記號や言葉を打こみ、記憶させるかといふ問題があります。アルファベットとカナ文字と漢字と數字と、さまざまの記號や文字がありますが、現在、最大の難關は言語構造の問題であります。人間の言葉が大變な奧深い法則によつて組立てられてゐるらしいといふことが、最近、コンピューターの發達のおかげで判りはじめました。今まで古くさいと思はれてゐたものが、實は大腦の構造と關連した最も效率的で進んだものだつたとわかつてきたのです。例へば『新假名遣ひ』は『歴史的な正しい假名遣ひ』よりコンピューターに入りにくゝ、不便なのです。つまり『新假名遣ひ』は文法の法則上からも論理的でありませんで、かへつてコンピューター時代の障害になると見られるやうになりました。コンピューター關係の若い科學者達は『正しい假名遣ひ』にもどるべきだと主張してゐます」と興味深いことを述べてゐる。
これまで多くの人々によつて主張されてきた歴史的假名遣の合理性が、思はぬ方面において證明されたことになる。コンピューターの急速な進歩によつて、カナモジ論者やローマ字論者の論據の大部分が崩潰したことになる。今は使ひたければ數千字の漢字が自由に使へる。歴史的假名遣用のソフトも販賣されてゐるから、歴史的假名遣で文章を書くことも容易である。機械のために言語文字があるのではなく、言語文字のために機械があるのだといふ主張が現實のものになりつつあるといふことである。
文語と口語を截然と分つのは困難であるのに、「現代かなづかい」はその點の配慮に缺け、文語文法と口語文法との隔りを大きくし兩者の連關を斷つてしまつた。一方歴史的假名遣には文語と口語を通じ一貫した原理があり論理的であるから、語義・文法の理解が容易であることは、コンピュータを俟つまでもなく明かである。
なほ、昭和四十五年三月二十七日の讀賣新聞によると、コンピュータに接續して漢字、假名、數字などを自由に印刷できる「漢字ラインプリンタ」を富士通が開發したといふ。その印刷能力は一分間に四萬字で、IBMが萬國博に出品した同樣のもので約五千字、新聞社などで使用してゐる漢字テレプリンタが約千五百字といふことであるから、八倍ないし二十五倍の性能である。この「漢字ラインプリンタ」はコンピュータに文字を記憶させるための漢字タイプとコンピュータに接續する印刷機からなり、キーパンチャーが打込んだ文章はテープにとられ、自動的にコンピュータに記憶され、用途に應じて適宜自動的に印刷されるから、これからの文書業務に大きな影響を與へることは疑ひない。タイプライターが使ひたくて、漢字全廢を企てた時代があつたといふことが、一つの笑ひ種として語られる日もさう遠くあるまい。改良されるべきは機械であつて、言語文字ではない。


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