「同胞各位に訴へる」(八の9)

 昭和三十九年六月、國語問題協議會は各界有識者約千六百名の協贊を得て、戰後の國語改革の根本的再檢討を廣く國民に訴へた。先づ「我々の先祖は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。殊に微妙で深みのある美的感覺は世界一かも知れません」と日本文化の優れてゐることを述べ、
 「一、なぜ、歐米諸國は發音と異つた綴りを維持してゐるのか」
 「二、日本人は優れた民族的文化遺産を繼承し得ぬ程劣等か」
 「三、明治以後、國語國字簡易化運動はどうして起つて來たのか」
 「四、『現代かなづかい』は果して合理的で便利であるか」
 「五、常用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか」
 「六、難しい國語國字は文化を遲らせるか」
 「七、青少年の學力低下」
 「八、國語の改惡は國を滅ぼす」
 といふ見出しで戰後の國語改革を批判してゐる。
 
 六には「優秀な文化を築いた國々ほど言語文字は難しく複雜で含蓄に富んでゐる事實を見るべきです。それでなくては發達した理性や感情の正確な微妙な表現を十分に果すことができないからです」、
 七には「第一に言語文字を輕んずる文部當局の精神は、當然青少年の文化意欲を弱めます。さうして國語國字に於ける鍛錬が少くなり、思考力を養ふことがおろそかになれば知能が衰へるのは自然です」、
 八には「一流の文章が讀みにくく、二流、三流以下のものだけ讀むといふのは、日本を二流、三流の國に低落させることでなくて何でせうか。『當用漢字は五年にして日本文化を滅ぼす』と言つた岡潔博士の豫言は、大數學者の鋭い直感だらうと思ひますが、今や不幸にして實現しつつある状況です」。そして「結論とお願ひ」で「戰後の愚劣な國語國字變革は明かに日本文化の下落を來すものであり、これは明日からでも白紙に戻して愼重な再檢討を始めるべきである」と訴へた。
 
  昭和四十年二月、塩田良平の「國語隨筆」が出版された。塩田は「昔の青年も誤字をよく書いたが、指摘されゝば羞(はぢら)ひがあつた。今の學生はさういふことに餘り羞恥心は感じないやうである」「戰後の當用漢字強制は、文字は變へ得るといふ、文字に對する輕蔑感を一般に與へたに違ひない」「私は現代の若い人々が犯す誤字現象を戰後の國語政策の不始末によるものと考へたい」「殊に、新假名づかひが便利主義、目先だけの仕事で、過去の表記法と絶縁したことによつて、古典の讀解を困難にさせたことは疑ひを入れない。加ふるに、このごろの漢字の略體はますます二つの世界を隔絶せしむる」と戰後の國語政策に疑問を呈し、「讀めればよい、書ければよい、そして相手に通じればよい、といふ誠しやかな合理主義と簡便主義とが新假名を育てたものと思ふが、その結果齎したものは、日常生活における歴史の遮斷である」「新假名遣はゲジゲジよりも嫌ひである」「私は死ぬまで新假名遣は書かないことにしてゐる」と明言してゐる。
 



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