作家の良識(八の6)

 昭和三十八年十月、倉橋由美子は『國語國字』に「私の國語國字問題」と題して「新假名遣ひの猥雜さに不愉快を感じならがも」「現代かなづかい」で書いてゐたが、「ある日突然、正しく書かなければいけないと決心したのは、福田恆存さんの『私の國語教室』を讀んだからです」「かれらが自己保存のためなにかと『改革』したがる『進歩的精神』の動機はよくわかりますが、國語の『改革』にだけは手をつけないでほしいものです。その手が癡漢の手のやうにわたしたちの精神の内部までさぐりにくるのはまつたく我慢できません」「わたしは默つて自分の趣味にあふやうに書くだけです。そしてすくなくともことばを用ゐることを職業としてゐるかぎりは、自分は『良貨』を用ゐてゐるといふ誇りをもちつづけたいと思ひます」「漢字制限については、さういふみえすいた、いやらしい、傲慢不遜なことはおやめなさいといふほかありません」と述べてゐる。
 海音寺潮五郎は『國語國字』(昭和三十九年三月)に「誰にも權利はない」と題して「私共が日本語が今日病んでゐると申しますのは、我々の先人達が日本語を大事にし、培ふことに努力して、こんなにも立派に發達させて來たものを、一部の人々がいらぬことをして壞しつゝあり、といふのが言ひすぎなら、破壞に導くやうなことをしてゐて、その結果が日を追うて大きくなりつつあるからのことであります」「秦の始皇帝が書物を燒いたといふ故事があります」が「現代の日本國語の新表記法の主張者らは、この始皇帝の惡業と同じことをしてゐるのです」「一體、國語といふものは、民族が過去、現在、未來にわたつて共有してゐる最も貴重な財産です。ある時代の國民がほしいままに改變してよいものではない」と書き、村上元三は同誌(三十九年九月)に「近頃思うこと」として「敬語など廢止してしまつたほうがいい、という亂暴な議論も聞くことがあるが、そんなことになつたら、さぞ味氣ない世の中になるだろう」「時代につれて、言葉が變り、文章も變化してくるのはやむを得ないだろうが、古いものを一概に片づけようとしないで、新造語を造るにしても、美しい日本語が生れてきてほしいものだ、と思う」と書いてゐる。
 また時期は少し後になるが、高井有一は同誌(四十三年十月)に「憂欝な話」と題して「私は、今、大層安心してこの原稿を書いてゐる。『國語國字』は、國語の正統を守るための雜誌だから、自分の書いたものが、妙な形に變つて印刷される惧れはないからである」「考へてみれば奇妙な事だが、現在、私のやうに正漢字、正假名遣によつて物を書いて行かうとすると、文藝雜誌を唯一の例外として、自分の表記がそのまま生かされる事は先づないのである」が「人にはそれぞれの過去があり、生活があり、思想がある。そしてそれに繋がるそれぞれの表現といふものがある。これは趣味の問題ではなく、自分の心の息遣ひを、文章に生かし得るかどうかといふ事である」「他人はどうでもいい、少數でも判つて呉れる人に話しかけて行けばいいのだと思ひながらも、私は矢張り憂欝である」と述べてゐる。現代は良識ある作家にとつて受難の時代である。


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