『今後の問題(その三)』(7‐47‐3)

かうして、文部省令は廢止されたが、なほ國語審議會に關する制度上の難點がもう一つ殘つてゐる。國語審議會を他の審議會と異る無上の權力者にしてしまつたのは、それが所管大臣の單なる諮問機關にとどまらず、自發的な建議機關であると言ふ事實であり、更にその建議案がそのまま内閣訓令告示として自動的に實施に移されるといふ事實である。文部省令とともにこの政令を改めなければならない。なるほど、内閣訓令告示は唯官廳に對して效力を發し得るものであつて、既成の表記法改革案も官廳の文書表記に對する改革命令であり、民間の一般表記や學校教育まで左右し得るものではない。が、事實上はさうはいかない。世間は官廳に「右へならへ」をし、學校教育も文部省に「右へならへ」をしたのである。義務教育が文部省に從ふのは當然と考へる人がゐるかもしれぬが、訓令告示は官廳相互間の、文部省内の通達、記録等の表記法を定めたものであつて、國家の、國語の表記法を定めたものではない。學校教育は國語の表記法に從ふべきであつて、官廳や文部省のそれに從ふべきではない。そして國語の表記法に關する限り、假名遣改訂も漢字制限もいまだ一度も行はれてゐないといふ事實を私達は確認しておく必要がある。

次に五委員脱退によつて生じた波紋の、その第二は、最初に朝日新聞が、次に毎日新聞が一時採用した新送假名法を廢し、主としてそれ以前の慣用に從ふを建前として、問題のあるものは、各社獨自の見解に基いて決定するやうになつたことである。のみならず、兩者とも、音訓表の適用を止め、例へば從來それに從つて避けて來た、「お父さん」「お母さん」のごとき表記も獨自裁量によつて自由に採用することになつた。また當用漢字については、社側の表記としては、一應それを守ることを原則としてゐるが、社外からの寄稿の場合は、たとひ制限外の漢字でも原文のまま表記し、その下に括弧を附して讀み方を示すこととした。もつとも、例へば朝日新聞のごとき、今までも制限外の漢字を全く拒否してゐたわけではない。が、「てい(亭)主」のやうに漢字を括弧内に入れてゐたのが、最近は「亭(てい)主」として假名を括弧内に入れるやうになつた。些末なことのやうに思へるが、これは重要な變化である。なぜなら、これは「てい主」より「亭主」の方が望ましい表記と考へるといふ新聞社の意思表示であり、隨つて當用漢字表に對する訂正要求と見做し得るからである。その點、毎日新聞、讀賣新聞などはもともと「亭(てい)主」の表記を採用してゐた。なほ、讀賣新聞のみはまだ新送假名法を守つてゐるが、漢字に關しては右の「亭(てい)主」のみならず、時に「亭主」のごとくルビの採用も行なひ始めた。



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