『今後の問題(その二)』(7‐47‐2)

既に漸く審議會に對して懷疑的になつてゐた中央の大新聞はこの事件を社會面の頭に掲げて世間の注目を求めた。以來、同年の九月の新審議會成立に至までの半年間、各新聞は審議會を中心とする國語問題の動きを絶えず注視し、戰後の改革に對して肯定、否定、それぞれの立場から、專門家、讀者の意見を求め、その主張を紹介することに努めた。週刊誌、ラジオ、テレビもそれに倣ひ、それまでの片隅の存在として極く少數の篤志家の關心しか惹かなかつた國語問題が、急に國民一般の意識に上り始めたのである。勿論新聞や放送には限界があり、そのやうな國語問題熱は新審議會の發足と同時に退き、表面上は舊態に復したやうに見えるが、必ずしもさうとはいえない。五委員脱退を切つ掛けとし昨年から今年に掛けて、二つの大きな變化が生じてゐる。
その一つは、その五委員を脱退に踏切らせた直接の原因である推薦協議會制度とローマ字調査分科審議會とが廢止されたことである。前述のやうに、推薦協議會は一見民主主義的體裁を採りながら、實際上は表音主義者とその同調者とによる永久支配を必至ならしめるものであり、また彼等の發案により昭和二十六年に文部省令として設立されたものである。それが昭和三十七年四月、文部省令改革によつて廢止され、今後、國語審議會委員は文相の任命によるものと改められた。
反對者は、これによつて國語審議會の民主主義的性格は破壞され、國語問題が官僚の獨斷に左右されるやうになつたと言ふが、それは間違ひである。なるほど形式は文相、文部官僚の意のままになつたやうに見えるが、實際問題として、衆目監視の中で不公平な人事は行ひ得るものではないし、また假りにたまたまさういふことが起つたとしても、次期には輿論によつてその缺陷を是正しうるのである。むしろ公正、民主の形式を整へていゐることを楯に、後は人目のつかぬ場所で實際上の永久政權を可能ならしめてきた推薦協議會制度の方が、より獨裁的であると言へる。獨裁は官僚が行ふ時にのみ惡であるのではない。特定の黨派による獨裁もまた惡である。五委員脱退の主目的は、この人目に附かない事實上の獨裁を明るみに出すことによつて、世間の注意を喚起することにあつた。隨つて、審議會内部で話合ひによる建設的努力を行ふべきであつたといふ批判は、實情を知らぬものの言であろ。



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