『日本語を愛する人に』(7―31)

 昭和三十一年五月、太田行藏の『日本語を愛する人に』が刊行された。太田は時の雜誌や新聞に掲載されたいくつかの意見を取上げ、それを論評すると同時に戰後の國語政策を批判してゐる。太田は「金田一京助君と石川啄木」において、特に四十頁して、福田・金田一論爭における金田一の論理の矛盾と言葉遣の不用意なことを指摘し、「啄木と金田一氏との親しさをもつて金田一氏に遠慮なく物を言つて」みたいといふことから、次のやうな口調で金田一を窘めゐる

  *金田一君。君は、かつて、こう言った。文字は言葉を寫す約束的符號と思っていたが、その一つ一つの裏に永い國民生活の血のりがついている。根が生えていると。あのころの心持をを、この際福田氏などの熱意にふれるにつけても、なるほどと、いま一度思い出すべきではないか。

  *君には「に」と「へ」の別ができない。君の文を見ると「石川君へ話した」「相手へ話した」などという例がいくらでも出てくる。*この「に」と「へ」との別のできないような言語感覚の持主たちが集まって、助詞の「へ」は「え」でよいなどというオキテを作ろうとしている日本の現状は、そのだけではまさに無知――無恥、何とも言いようのないなさけなさだ。

 次いで太田は例を以て國語ヘ育基礎學力を養ふべき方法について考察し、教育者としての豐かな經驗をもとに「文をみやすく書く事は必要である。しかし頭腦を力強くすることは、さらに必要である」と述べ、更に「あとがき」において「漢字音の名づかいと國語の名づかいを同列において論じるのは、知らぬ幸に人をあざむくというものであろう」と述べ、「やむを得ないものとして認める」「というような態度で引きずられて行くことは、やめなければいけない」と、眞に「日本語を愛する人に」強く訴へてゐる

 


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