『國語國字問題の歴史』(その七の13)

  昭和二十三年九月、平井昌夫の『國語國字問題の歴史』が刊行された。本書は、漢字の傳來から明治維新までの「素材の蓄積される過程」を扱つた「前期 國語國字の歴史的背景」と、「蓄積された素材」がいはゆる「問題」として自覺された時期である明治維新以後の國語國字問題の歴史を記述した「後期 國語國字問題の發生」とに分れてゐる。提出されてゐる資料はかなり豐富であるが、單なる資料の羅列に終つてゐる部分が少なくない。また、國語問題に關する論文や書物についてはあまり觸れてゐない。勿論、歴史的な事實に對する解釋が一方に偏してゐるのは、著者が熱烈な日本式ローマ字論者であるからやむを得ないとは思はれるが、それにしても考察があまりにも粗雜に過ぎるやうである。一例を擧げれば、宣教師について「漢字なんかは、佛典や役人といつしよにきえて失せろ、これが彼等のいつわらない感想であつたかも知れない」などと、クリスト教への認識を全く缺いた卑見を披瀝してゐる。

  昭和二十二年十二月二十二日に公布された戸籍法第五十條には「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とあり、二十九日に發表された戸籍法施行規則第六十條により、常用平易な文字を「一、 昭和二十一年十一月内閣告示第三十二號當用漢字表に掲げる漢字」「二、 片かな、又は平かな(變體かなを除く)」に限定した。これは國民の命名の自由を侵害するものであるから、各方面から強い反對を受け、國會においても問題にされた。つひに政府は、國語審議會の建議を採擇して、二十六年五月、「乃也宏彦昌杉鶴龍」など九十二字を人名用漢字別表として公布し、戸籍法施行規則の一部を改正したが、ただ單に九十二字増加したに過ぎず、依然として憲法に牴觸する重大問題であることには變りない。

  また二十四年二月九日には教科用圖書檢定規準が發表され「使用する漢字は、固有名詞のほかは、原則として當用漢字別表の範圍内に限り、それ以外の漢字を必要とする場合には、當用漢字表中のなるべくやさしい漢字を用いることとする。漢字の用い方については、當用漢字音訓表による」「かなづかいは、現代口語文においては現代かなづかいを用いる」など八項目の規準が設けられた。


閉ぢる