津田・美濃部の反對論(その七の10)

  二十二年六月、津田左右吉は『象徴』に「いはゆる『新かなづかひ』に對する疑ひ」を發表し、第一に「現代かなづかい」は「ほんたうに發音どほりであるかどうか」、第二に「一貫した原則をもつてゐるかどうか、また音とことばとの關係を考へたうへで定められたものかどうか」、第三に、發音通りの假名遣にすることに「どれだけの意味と價値とがあり、それが、これからのニホンのことばをよくしニホンの文化を高めてゆくために、どれだけのやくにたつものであるか」といふ三つの疑問を提出し、その三つの角度から「現代かなづかい」を批判してゐる。

  同二十二年十月七日、中部日本新聞は、「當用漢字整理の再檢討」と題する社説において、「一つの民族からその言語に特有の語感を殺してはその文化特有の價値と意義、深さとうるおいとはない。義務教育においてもただ日常茶飯の用語に事足ればいいというものでなく、われわれの精神的傳統と古典とに結びつく手がかりを與えられ、且つそれによつて新しく文化を傳統の發展として創造し得るのでありまたそこに世界性をも獲得し得るのである」として、漢字・假名遣整理の反省と再檢討を要求してゐる。大部分の新聞社及び新聞人が諸手を擧げて改革案を支持するといふ當時の趨勢を顧みる時、これだけのことを書くにも隨分勇氣を必要としたに違ひない。

  また二十三年六月、美濃部達吉は『文藝春秋』に「國語假名づかひに付いて」を發表し、先づ「内閣が此の如き訓示を爲したことは内閣の權限外の事項に屬し、甚だ不當な措置で」あり、法律上の強制力も學問上の權威もないものであるにも拘らず「所謂指導階級と見らるべき多くの人々が唯々として之に盲從して居るのを見て、慨歎を禁じ得ない」と述べ、次いで「羽」は本來「は」又は「はね」と訓む語であるが、「一羽、二羽」を「わ」としたのでは二者の關聯が斷たれる、また「原(はら)」を「川原、田原、小田原」等の場合に「わら」と書けば、それが本來「はら」を意味する語であることを知ることが出來なくなるとして、「現代かなづかい」を批判してゐる。正にその通り、「ニハ(二羽)、サンバ(三羽)、ロッパ(六羽)」と書けば、すべて「ハ」で一貫されるのに、「ニワ、サンバ」では相互の聯關が斷たれ、正しい言葉の理解が妨げられるばかりでなく、逆に全く別の語と何か關聯があるかのやうな錯覺を誘發する虞れもある。


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