時枝誠記の假名遣論(その七の8)

  昭和二十二年一、二月、時枝誠記は『國語と國文學』に「國語問題に對する國語學の立場」を發表「し、「國語問題が、言語の實踐に關する議論であるとするならば、それは他の一切の言語現象と共に、それ自躰が國語學の考察の對象とならなければならないこととなるのである」と述べてゐるが、この時枝の論文によつて始めて國語問題が國語學の對象として位置づけられたと言へる。次いで時枝は「國語問題の解決といふことは、言語主躰を正しい心構へに導いて行く不斷の精神開發運動と見るべきである」「言語が歴史的事實であり、常に傳統の上に立つて發展して行くものである以上、この歴史性と傳統性とを無視した解決法といふものはあり得ない筈である」とも述べてゐる。

  また時枝は二十二年二月の『國語と國文學』に「國語審議會答申の『現代かなづかい』について」を發表し、表音主義の表記上の不合理を指摘した後「云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難を救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起すことになるのである」と述べ、次いで

* 更に傳統は、單に無意味な文字の固定を、ただ傳統なるが故に守らうとするやうなものではない。本來表音的文字として使用せられた假名は、時代と共に、表音文字以上の價値を持つものとして意識せられて來る。それは觀念の象徴として、例へば、助詞の「を」「は」「へ」の如きはその最も著しいものであつて、ここに於いて文字發達史の通念である表意文字より表音文字への歴史的過程とは全く相反する現象が認めら れるのである。

と論じてゐる。また翌二十三年三月、時枝は『國語と國文學』に「國語假名づかひ改訂私案」を發表し、「七、假名づかひ改訂の方法」において契冲の古典假名遣を出發點として具體的な方法を提示してゐる。先づ「一、假名の傳統の濃厚な語については、現行假名づかひを出來るだけ保存する」として、助詞の「は、を、へ、さへ、づつ」と、ハ行動詞語尾の「思は、笑ひ、買ふ、堪へる、用ひる」とを例として擧げ、「二、假名の傳統の稀薄な語については、表音的に修正する」として、「かは(川)・・・かわ、ゆゑ(故)・・・ゆえ、とほい(遠)・・・とおい」などの例を擧げ、「やう(樣)」「さう(相)」などのやうに字音語でも假名記載の傳統の濃厚なものは修正しない方がよいと述べ、「三、國語として、全く傳統の無い語、新しい外來語、新造語については、出來るだけ表音的に記載し得るやうな表記法を用意してこれを取り決める」として「カフェー、ビルディング、ヴァイオリン」などの例を擧げ、「五、假名づかひの表音的修正と云つても、それは嚴密な方言差や個人差を表記することを目的とするものではなく、大躰の音聲的な手がかりを提供するものであるから、このやうな假名づかひは、歴史的にも地域的にも、廣い範圍の音聲還元に可能なやうに制定されなければならない」として、「けいえい」を適當とし「けえええ」「けーえー」を不適當としてゐる。更に「五、假名づかひが、單に表音的任務を持つばかりでなく、更にそれ以上に、語の喚起性、文法躰系の表示等の任務を持つものであることは、假名づかひの實際が示すところの事實であり、その點が假名づかひと表音符號と根本的に相違するところである。假名づかひが、嚴密に表音的でなければならないと考へるのは、何等根據のない獨斷論に過ぎない」とし、「はなぢ」(鼻血)、「みかづき」(三日月)、「いふ」(言ふ)、「かかう」(書かう)などは修正せず、「むしろ語原意識を刺戟し、自覺させるために、修正は最少限度に止めることが望ましい」と述べてゐる。

  この時枝の假名遣改訂私案は、細部においてはともかく、方向としては、現實に即した極めて妥當なものと言へよう。この論文が發表された當時は、國民の大多數は假名遣について顧みる餘裕すらなかつたであらうが、世情が落ち着いた今日、「現代かなづかい」については勿論のこと、この時枝の私案についても改めて檢討を加へる必要があらう。なほ、以上三つの論文は、いづれも昭和二十四年十一月刊行された『國語問題と國語教育』に收められてゐる。


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