『國語の尊嚴』の刊行(その六の48)

  昭和十八年五月、「日本國語會」から『國語の尊嚴』が刊行された。本書に收められてゐる大西雅雄の「日本國語道」は特に本書のために書かれたものであるが、橋本進吉の「假名遣の本質」は、既に紹介した「表音的假名遣は假名遣にあらず」の轉載であり、山田孝雄の「國語の傳統」は昭和十七年九月『文藝春秋』に發表されたものであり、新村出の「新東亞建設と日本語の問題」は昭和十五年六月の啓明會における講演筆記であり、藤田徳太郎の「國語問題と國語政策」は昭和十七年七月『東亞文化圈』に掲載されたものである。

  大西は、明治以來の音韻文字への憧憬が、西歐の物質文明への追從と支那への侮蔑にあることを指摘した後「國語運動家は、同音異義の語を國語の最惡點であるかの如く稱へる。それは假名やローマ字で書かうとするからの苦しい叫びである」、その同音異義語も「大抵、辭典を引いて探し出した」ものであると述べ、山田は、「言葉が正しいとか正しくないとかいふことの根據は、哲學の眞理に合ふとか、或ひは論理學上の矛盾が認められないとか、さういふやうな意味ではない。言葉の正しいといふのは、傳統の通りに用ゐられてゐるかゐないかに在る」と論じ、新村は、海外用の簡易日本語も結構であるが、「この爲に我國語の源泉に濁流が逆流して、その源泉を汚すことのないやうに我々は憂慮するばかりであります」と述べ、藤田は「國語問題、國語政策の根本となる重大な心構へは、わが國語を尊重するとともに、わが國語に絶對の確信を捧げるといふ精神である」と述べ、表音文字の表意性につき、文章の初めや固有名詞の第一字を大文字で書いたり、ドイツ語のやうに名詞の第一字を大文字で書くことなどを例に擧げて説明し、文字は單に發音を示すだけのものではないと述べてゐる。
 


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