「日本國語會」の設立(その六の44)

  右のやうな答申案に對し各方面から激しい反對論が起り、『大法輪』などは同十七年四月から十月まで毎號反對論を特輯してゐる。また七月十八日には、松尾捨治郎、頭山滿などは反對の建白書を文部大臣橋田邦彦に提出してゐる。その理由の一つに「國語審議會が自ら私黨化を悔悟し、眞に學問と實際とに照らして公明なる國語審議を進むるに非らざればその決議は國民の信奉を繋ぐに足らず。國民の信奉なくして政治的手段のみを以て解決し去らんとする現状は誠に國家文教の危機、國體蔑視の第一歩といはざるを得ず」とある。

  同十七年七月十一日發起人會を開いて準備を進めてゐた「日本國語會」が、十月七日に設立された。理事長に松尾捨治郎、常任理事に大西雅雄、鬼塚明治、島田春雄が就任した。同會は審議會の答申に全面的に反對を表明するもので、同會の趣意には

* 凡そ言語は、その久しき使用の間には、種々の慣例を生じ、文化と共に複雜性を加へ 、部分的には混亂現象をも起すものである。しかし、その故を以て一概にその現象を惡罵し、之をもつて直ちに國語國字の缺陷ででもあるかの如く唱道して國の内外に向ひ之を難ずることは、歸するところ祖國語の輕視であって、吾々國民のを看過し得ざる ことである。

  國語の純化改善は、科學的純粹性と實踐的合理性とに立脚しなければならないが、同時に國語の本質に躍動する精神的特質を忘却してはならない。

とあり、會則の第二條には「本會ハ醇正ナル日本國語ヲ學術的ニ究明シ、兼テソノ普及宣揚ヲ圖ルヲ以テ目的トス」とある。また同會の發起人名簿には七百名ほどの各界の名士が名を連ねてをり、その中には

  市河三喜 伊藤 整 岩淵悦太郎 宇野浩二 大宅壯一 小汀利得 折口信夫
  三好達治 金原省吾 佐々木信綱 相馬御風 近松秋江 堤康次郎 小林好日
  西原慶一 堀口大學 河上丈太郎 村松梢風 室生犀星 森田草平 諸橋轍次
  窪田空穗 小川未明 池田龜鑑 長谷川如是閑

などの名も見られる。


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