藤村作・倉野憲司の主張(その六の34)

  昭和十五年五月、藤村作の『國語問題と英語科問題』が刊行された。藤村は「漢字問題 」において、常用漢字に第一種、第二種、第三種の區別を設けることを主張してをり、 第一種は「小學國語讀本には是非提示することにしたい。さうして書き取りにも課し、 よく練習せしめて、その字形をも正しく記憶させておくべきもの」であり、第二種は日常生活に密接な關係を有する法文とか、よく使用される地名人名などに使はれてゐる第 一種以外の漢字であり、第三種は勅語や憲法や年號などに使はれてゐる第一種・第二種以外の漢字である。また藤村は「字音假名遣問題」において、片假名による「國語の發音符號を制定して、それを假名遣の外に存在させる」ことを主張してゐるが、具體的に説明すると、漢字に振假名をする場合には片假名を以て「蝶(チヨウ)」とし、漢字を忘れた場合には「チョウ」ト書き、「蝶」を假名書きしたい場合には「てふ」と書くわけである。この方法に隨へば、漢字假名交り文を原則とする限り、歴史的假名遣による教育上の困難も實生活上の不便も殆ど解決されることにならうが、假名書きする場合に「蝶」が「てふ」であることを知らず「ちょう」と書き誤るのをどのやうにして防止するかといふ問題が後に殘ることになる。この點さへ解決されればこれに優る案はないと思はれる。

  同十五年四月、倉野憲司は『文學』に「國語の整理統一」を發表し「假名と漢字の混淆文は、國語の存する限り永久に亡びることはあるまい」と述べ、八月五日から三囘に亙り東京日日新聞に發表した「國語の醇化」において、假名遣問題を解決する方法は「假名遣ひ(正書法)と表音記號とを明瞭に區別することである」として

* 即ち假名遣ひはどこまでも歴史的假名遣ひを守つて行くと共に、別に表音記號を制定して音聲的書法を確立し、兩者相俟つて國語の表記法が統一されねばならないと思ふのである。この意味において私は表音記號の制定を希求してやまない。

と述べ、翌十六年十一月の『信濃教育』に發表した「國語問題解決の方向」において「日本語自體の假名遣ひを學ぶのですから、外國語を習ふより、一層努力すべきが當然であるのに、少しも努力しないのであります。少しも努力しないで、國語の假名遣ひはむづかしいといつたり、單なる便宜主義を唱へたりするのでありまして、大いに反省を要すべきことだと思ふのであります」と、當時の假名遣に對する態度に反省を求めてゐる。

 


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