久保猪之吉の意見 (六−25)

昭和十一年十一月十七日、.久保猪之吉は東京帝國新聞に「漢字問題の醫學的考察」を發表し、醫學的な立場から「漢字の印象される腦の中樞は假名等の音標文字とは所を異にして居るとして、次のやうな興味ある發言を行てゐる。

* 自分の知人で早く腦溢血にかゝつた人がある。言語は一切話せない。面會してもたゞにこにこして居るばかりである。假名で字を書いても分からない。自分で書くこともできない。假名は一切忘れてしまつた。

  しかるに不思議なのは漢字は覺えて居る。釣が好きである。自分の連れて行きたい人の名を漢字で書く。又體の惡い時に腸のわるいのを腸の漢字で現す事が出來る。 * 漢字は象形文字であるから繪に近いのであらう。

  第二に考慮すべきことは我々のやうに漢字を相當覺えた人、即ち漢字の印象が腦裏に燒き附けられて居る人は假名で書いたものや、話される言葉を耳から聞いて容易く理解しえられるのだ。それを忘れて腦に印象を持たない人も同じやうに理解出來ると思ふ所に大なる誤解がある。

  また同じ十一年十一月に刊行された、服部嘉香の『正しい使ひ方   假名遣と送假名』は、臨時國語調査會の假名遣改定案に反對し、歴史的假名遣を説いた假名遣の部と、國語調査委員會の『送假名法』を批判し、改訂「新送假名法(私案)」を示した送假名の部とから成つてゐる。殊に送假名の部では、改訂理由を六ケ條擧げ、全部で五十の法則を掲げて各々に用例を豐富に添へると共に、法則を變へることによつて生ずる送假名の變化をも示してをり、かなりよく整理されたものである。

 


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