平生文相の漢字廢止論 (六−22)

  二・二六事件直後の第六十九議會の貴族院本會議において、昭和十一年五月九日、加藤政之助は、文部大臣平生釟三郎が昭和五年二月に刊行した『漢字廢止論』が今なほ「版を重ねて頒布されてゐる事實を認められるか」「文相はこの説を今なほ心中に堅く持し、これによつて行動されつつあるか」等七箇條の質疑事項を擧げて文相の答辯を求めた。それに對し平生は「私ハ漢字廢止ヲ致サウトシテ居ル者デアリマス」と、その立場を明かにし、長時間に亙り、漢字を廢止すれば教育年限を二箇年短縮できるから、教育費を年額二億圓ほど節約することが出來ること、法文が誰にも讀めるやうになること、タイプライターが使用できること、電信電報を打つ場合に時間の節約になること、教育年限の短縮は女性の婚期の遲れるのを防ぐことが出來ること、漢字を廢しても國民精神には關係しないことなどを強調し、加藤の再度の質問に對して「私ハ、自分の信念トシテ持ツテ居ルモノヲ、其ノ職責ニ就キマシタナラバ考慮スルノガ當然デアラウト思フノデアリマス」といふやうに、現職の文部大臣として極めて不穩當な答辯であつたため、議會の大問題となり、先づ五月十二日の衆議院豫算委員會において、深澤豐太郎の激しい追求を受けた。
  深澤は、平生の漢字廢止論そのものに對する批判と、平生が「廢止論者ニ對スル反對者ヲ誹謗スルノ餘リ」「御即位ヲ壽ギ奉ツタ詩ニ對シテ」、「如何ニ物好キカラトハ言ヒ條、カゝル難解ノ辭句ヲ羅列シタルハ噴飯禁ズル能ハズ」と書いたり、また「ソレモ日本固有ノ文字デアルナラバ致シ方モアリマセヌガ、斯ルモノヲ輸入シテ其禍ヨリ脱スルコトヲ知ラザルニアラザルモ、脱スルコトニ努メナイノハ、國家ニ對シテ不忠デハナイカ」と書いてゐることを指摘し、平生に答辯を求めたが、はつきりした返答がなかつたため、五月十四日再び深澤の追求を受け、平生はついに「今マデノ私ノ主張シテ居ツタコトハ未熟ノ點ガ非常ニ多イト私モ考ヘマスカラ、再檢討ヲ致コトニ致シマス」と答へるに致つた。更に五月十八日の貴族院豫算委員會においあて、金杉英五耶がこの問題を取上げて長い質問演説を行ひ、いくつかの實例を擧げて漢字を廢しても「理解ノ點ニ於テハ寧ロ却テ困難ニナル」こと、また同音異義語の處理のむづかしいことなどを指摘し、三十年來の知友として平生文相に反省を求めたのに對し、平生は「尚十分檢討ヲ致シマシテ、果シテ自分ノ考ガ誤りアりト云フコトダツタラバ伊澤サント同ジヤウニ取消スコトニ致シマス」と答へ、最後に金杉が「アナタノ爲ニモ國家ノ爲ニモ非常ニ喜ンデ居リマス」と述べて、數囘に亙る質疑應答の幕がやうやく下りたのである。

 


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