菊澤の『國字問題の研究』 (六−15)

   昭和六年六月、菊澤季生の『國字問題の研究』が刊行された。本書の内容は、その自序に「前編に於ては、先づ言語とその意味を、言語と文字の關係を、音聲と文字との關係を、考へて見た。後編に於ては、先づ國字論の發達を述べ、その中最も優秀な立場にあるローマ字國字論の中心問題たる綴り方變遷の歴史を記述し、モの批評を下して見た」とある通り、日本式ローマ字論者としての立場から、ローマ字を中心に國字問題を歴史的に論述したものである。菊澤は第二章「言語と文字」において

* かくて文字の發達は、歴史上、比較上、表意主義から表音主義に進んでゐる事が分る。從つて、この發達傾向を更におし進めると、意味を顧みずして音聲のみを記す所の音標記號 (Phonetic signs) に達することが認められる。

と述べ、日本も歐米のやうに表意から表音への道を辿る筈であるし、また辿るべきであると言ふのであるが、國語の音韻組織を究明せずにヨーロッパにおける言語文字の發達過程をそのまま日本の言語文字に摘要し、國語國字の推移を豫斷することは間違つてゐる。ヨーロッパにおける表意から表音への推移は、表意文字が高度の發達を遂げた後に表音へ移行したのでなく、表意文字としては極めて幼稚な段階にあつたのである。隨つて、發展的過程としてそれを見るよりも、單に表意文字が發達し得ない種々の要素が、言語文字に内在又は外在してゐたためであると見るべきである。況んや「表意主義から表音主義に進んでゐる」と言へるやうな意識的なものではなく、必然的要因によるものと判斷される。日本の漢字や假名のやうに、千數百年の歴史的背景を有する高度に發達した文字を「主義」によつて簡單に變改できるわけがないのである。國語國字そのもののうちに表音への必然性が含まれてゐるとするならば、「主義」がどうであらうと、いづれ表音文字へ移行するであらうから、人爲的に無理な力を加へるのは無意味であると言ふより有害である。

  翌七年六月刊行された、日下部重太郎の『現代國語精義』は、國語、假名遣、句讀法、分ち書き、送假名、語法、文體、國語調査事業などの全般について論述したものであり、八月に刊行された平岡伴一の『國字國語問題文獻目録』は、國語國字問題の研究に必要な文獻を分類し、必要に應じて小解を附したもので、いづれも文獻として貴重なものである。

  また、昭和六年九月二十日には、堺俊彦、松坂忠則などは「發音式カナづかい期成同盟」を組織し、「發音式カナ遣要求の聲」を文部大臣に提出してをり、翌七年九月六日には、金澤潔、河田茂などの發起で「國語愛護同盟」が結成され、口語文、漢字制限、發音式假名遣、左横書き等の研究に着手してをり、更に八年一月、稻垣伊之助、森馥などを中心に「日本語をよくする會」が結成され、九年七月『國語の愛護』を創刊してゐる。


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