美濃部達吉と佐藤春夫 (六−11)

美濃部達吉は、同六年七月二十八日より四囘に亙り時事新報に「假名遣の變遷」を發表した。美濃部は「政府の任務を超越するもの」として、「勿論國語の綴り方は時と共に變遷すべきもので、必ずしも永久に固定して居るものではない」といふことを認めてゐるが


* 其の變遷は社會自身に依つて行はるべきもので、政府の權力を以て、之を社會に強要すべきものではない。斯ういふ精神的文化の方面に於いて政府の爲すべき任務は、唯其の發達を助成し、其の障碍を除去することのみ存すべきもので、政府が自ら世間の一般に是認しない方向を定めて、これに向つて權力を以て急激な改革を企てようとするが如きは、政府の權力を濫用することも亦甚だしいものである。

と論じ、更に文字を一種の發音符號と解することの誤りを指摘し、文部省に再考を希望してゐる。

また佐藤春夫は、八月二十一日より五囘に亙り都新聞に「アッパッパ論」を發表し、「このアッパッパといふもの聞けば近頃では清涼服とか清涼衣とか呼ばれるといふ」「アッパッパ流行の第一の原因はおそらくその實用的價値、洗濯に便利で着て涼しいといふにあるのであらう」「やれ一國の風俗の上から見てよろしくないとかあれは外國人の寢間着だなどゝいふ非難攻撃は當らざる亦甚だしいものである」と述べ、「今日アッパッパを愛用してゐる婦人たちはもしアッパッパ無かりせば裸體で市中を横行してゐるに相違ない」その「彼女等が裸體姿の醜惡非禮を自覺した結果がアッパッパの流行を現出した」ものと考へるから、風俗向上といふ意味で警視廳でアッパッパを表彰するとよい、と皮肉を言ひ、警視廳では卑見に贊成しなとしても文部省では表彰する筋合ひがあるとして

* 古來のよき傳統を勇敢に一蹴し去つて學的根據も論理的一貫をも省みずにたゞこれ便利の爲めと稱して假名遣ひの斷行せんとする文部省の心状と態度とは正にアッパッパ愛用家とその軌を一にするものとなすべきで、文部省はアッパッパを愛用することによつて風俗の上に一大改正を斷行したる婦人達を表彰するは正に理の當然に基づく可く、もし文部省としてこの事あるを憚る何等かの理ありとするも、この假名遣ひ改正に根據を與へたる責任當事者たる文部省國語調査會委員の婦人及び令孃達は必ずや婦道として正に郎君及び父君の意を體して日常アッパッパを愛用せらるゝに萬相違あるまじきを僕は茲に信念を以て推定する者である。

と、文部省の改定の趣意を痛烈に批判してゐる。


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