教科用圖書調査委員會と安達常正の『漢字ノ研究』   (四の40)

  明治四十一年九月四日、勅令を以て数科用圖書調査委員會の官制が發布された。同會は「文部大臣ノ監督ニ屬シ小學校ノ修身歴史及國語ノ教科用圖書ヲ調査審議シ竝文部大臣ノ諮詢ニ應ジ其他ノ教科用書ニ關スル事項ヲ調査ス」るもので、九月二十六日會長に加藤弘之、副會長に菊池大麓ガ任命され、次いで二十八日第一部長(修身)に山川健次郎、第二部長(歴史)に辻新次、第三部長(國語)に井上哲次郎が任ぜられた。

  文部省は翌四十二年一月、『臨時假名遣調査委員會議事速記録』を、國語調査委員會は同年三月『假名遣及假名字體沿革資料』を、四十四年四月『口語體書簡文ニ關スル調査報告』、九月『假名源流考・假名源流考證本寫本』、十二月『平家物語につきての研究』(前編)をそれぞれ刊行してゐる。なほ四十二年七月、日本式ローマ宇による圖書の出版を目的とする日本のローマ字社が設立され、十二月に『ろ一まじひとりげいこ』が創刊されてゐる。

   四十二年十一月、安達常正の『漢字ノ研究』が刊行された。安達は總論において「凡そ假名遣法は、教授上の便不便は問ふ所ではない。從來音符文字を音符文字として取扱はないことは、根本的に不適當であるといふのである」と述べ、第二篇第五章にいて、尋常小學校六箇年の使用漢字を千字、高等小學校を七百字(累計一千七百字)、中等學校を二千字(累計三千宇)、漢字専門學者間使用の漢字を二干字(累計五千字)に制限すると共に「一方に於ては、一々正確なる知識となし、其應用を自在ならしめんことを希望するのであると、かなり穩やかな漢字制限論を唱へてゐるが、將來は「多分ローマ宇の採用に歸着するであらう」といふ見通しのもとに國語改良の順序にまで言及してゐる。以上の意見は傾聴に値するほどのものではないが、六百頁から成る本書の内容は、漢字についてあらゆる角度から考究した貴重なものである。


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