改定案の撤囘   (四の39)

  この伊知地の演説の後、藤岡と伊澤が再び前囘以上に長い演設を行つてゐる。以上五囘に亙る委員會において八委員からそれぞれ意見が述べられたわけであるが、大勢は文部省に不利であった。改定案を支持Lた矢野にしても、その實施は教育過程に限ることを提言してゐるし、芳賀にしても全く發音式に改めることには難色を示してゐるほどである。つひに新たに就任した小松原文相は、明治四十一年九月七日、,文部省令第二十六號を以て、明治三十三年の文部省令第十四號小學校令施行規則中の「第十六條及第一號表乃至第三號表」を削除した。同時に發表された文部省訓令第十號には次のやうな説明がある。

*   假名ハ大體ニ於テ從來ノ規定ニ依ルヲ適當ト認ムルモ尚普通ニ行ハルヽ變體假名ヲ加へ授クルノ必要アリ

   漢字ノ數モ亦義務教育延長ノ結果相當ノ増加ヲ要ス

   是レ假名及其ノ字體竝ニ漢字ニ關スル規定ヲ削除シタル所以ナリ

   又字音假名遣ハ當初改正ノ際ハ兒童ヲシテ國語學習上ニ於ケル困難ヲ避ケシメントスル趣旨ニ出タルモノナレトモ實施ノ結果ニ鑑ミ豫期ノ目的ニ副フコト能ハサルヲ認メタルヲ以テ今囘國定教科用圖書改正ノ時期ニ迫レルヲ機トシ之ヲ廢セリ

  かくして假名遣問題が一應解決されたため、四十一年十二月十二日、臨時假名遣調査委員會の官制が廢止された。ここで注意を要することは、森、伊澤、藤岡、曾我などが反對した改定案は、昭和二十一年に採用された「現代かなづかい」と比較すれば、遙かに良心的なものであつたといふことである。改定を企圖すること自體不穩當ではあるが、案の内容は、漢字假名交り文による限り、從來の文章とあまり違はない程度のものであつた。にも拘らず、各方面から猛烈な反對を受けて、その案の撤回に止まらず、三十三年の棒引假名遣をも廢止せねばならなくなつたわけである。


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