矢野文雄と芳賀矢一   (四の36)

   同六月十九日、藤岡の次に演説をした矢野文雄は「私ハ大體文部省改正案ニ賛成ノ方デアリマス、併ナガラ除外例ヲ置イテ賛成シタイ」と述べ、「尋常三年力四年マデハ發音デモ總テ言葉通リニ書カセル其上ニナツテ初メテ此改正案ヲ用ヰル、ソレカラ大和文藝、其他ニ關シタモノハ舊來ノ假名ヲ用ヰル、是ハ當前ダ我々ハ古文體ノモノガ好キデアルカラ自分カラ言へバ或ハ總テサウヤリタイト思ヒマス」と、教育過程においてのみ便宜的に表音式假名遣を用ゐるべきだと主張してゐる。それは丁度入門期の兒童に先づ假名を教へるのと同じだといふのであるが、外國においては特に兒童のために一般社會と異なる表記法を用ゐることはないし、日本でも假名から教へるのが最良の方法だと決つてゐるわけでもないのである。

  次いで演説した芳賀矢一は「国語ノ假名遣が六ツカシイカラ改メヨウ」といふのは「少シ本末ヲ顛倒シタ話デハ無イカト思ヒマス」「寧ロ國民教育トシテ必要デ有ルカ無イカ」が第一の問題であ ると述べた後、歴史的假名遣は「國民一般ナハ數百年來少シモ用ヰラレテ居ナカツタ假名遣デ」あるが、文部省が明治初年にさういふ「國民が用ヰテ居ラヌモノヲ國民教育ニ施サウトシタノが間違 ヒデアル、魁曾二通用土ヌ候名遣ヲ學校丈ケニ用ヰヨウトシタノが間違ヒデアル」と述べてゐるが、當時それ以外に體系の整った學問的な裏付けのあるいかなる假名遣があったといふのであらうか。 また芳賀は

* 即チ此舊イ假名遣ト云フモノヲ文部省が明治初年カラ頻りニ學校カラ教ヘタノニモ拘ラズ社會上ノ實際ニ於テハ少シモ行ハレテ居ラヌノデアリマス、此假名遣ヲ知ラナイ人々が集マツテ日本ノ社會ヲ形造ツテ居ルノデアリマシテコレが日本ノ國家ノアラユル階級ヲ組織シテ居ルノデアリマス、ソレデモ國家ト云フモノハ間違ヒナク進ソデ行キマス、段々ト繁昌シテ行ツテ居ルノデアリマス

と述べてゐるが、一部の人々が限られた少數の假名遣を間違へるからといって、假名遣がないとか、假名遣が行はれてゐないと言ふことは出來ない。また右のやうな論法によれば、交通法規を間違へる者があるのに、國家は間違ひなく繁昌してきてゐるから、交通法規を改正すべきだとか、交通法規など不必要だとか、言ふことにならう。なほ、芳賀は改正することには賛成だが、「全ク發音的ニ變ヘテ仕舞フト云フ様ナ問題が出タラ更ニ反對スルカモ知レマセヌ」と述べてゐる。

 


閉ぢる