臨時假名遣調査委員會    (四の331)

  文部省は、三十八年三月發表した假名遺改定案に對する激しい輿論の抵抗を受け、そのまま斷行することは不可能であると判斷し、新たに改定案を作成し、臨時に假名遣調査委員會を設けて調査させることにした。かくして明治四十一年五月二十三日、臨時假名遣調査委員會の官制が勅令第百三十六號を以て發布されたのである。その時の内閣總理大臣は西園寺公望、文部大臣は牧野伸顯であつた。同官制第一條には「臨時假名遣調査委員會ハ文部大臣ノ監督二屬シ國語及字音ノ假名遣ニ關スル事項ヲ調査ス」とあり、委員長には菊池大麓、委員には、曾我祐準、松平正直、淺田徳則、小牧昌業、山川健次郎、岡部長職、矢野文雄、森林太郎、岡野敬次郎、小松謙次郎、井上哲次郎、上田萬年、伊知地彦次郎、伊澤修二.徳富猪一郎、横井時雄、芳賀矢一、松村茂助、島田三郎、藤岡好古、大槻文彦、江原素六、鎌田榮吉、三宅雄二郎の二十四名、主事には渡部董之介が任命された。なほ五月二十八日に肥塚龍が委員に任ぜられてゐる。

  牧野文部大臣が五月二十八日「別紙假名遣ノ件ニ關シ其ノ會ノ意見ヲ問フ」として提示した別紙
によると、「本案ノ假名遣ハ文部省ニ於ケル教科書檢定及ヒ編纂ノ場合ニ之ヲ許容スルモノトス」
とあり、字音假名遣は、「おを」を「お」、「いゐ」を「い」、「かう、かふ、こう、こふ、くわう」を「こう」、「ばう、ばふ、ぼう、ぼふ」を「ぼう」に改めるといふ發音式であるが、「しう、しゆう、しふ」に「しう」、「ぢう、ぢゆう、ぢふ」に「ぢう」を用ゐる點に特色がある。また國語假名遣では、「ヂヅ」はそのまま保存し、「ゐ、ゑ、を」を「い、え、お」としてゐるが、助詞の「を」と活用より起る「ゐ、ゑ、を」は除外し、「はひふへほ」の場合も同様に扱ひ、いわ(岩)、いえ(家)、かお(顔)、うぐいす(鶯〕と發音式に表記する一方、あらへ(洗)、もしくは(若)と助詞とか活用語には歴史的假名遣をそのまま保存してゐる。

  その理由書には、明治三十三年に字音假名遣の改定を實施したが「児童ニ於テ字音ト國語トヲ區別スルコト困難ナルカ爲ニ知ラス識ラス字音ノ表記法ヲ國語ニ及ホシ」國語假名遣に混亂が生じた
ため、「家川扇峠顔鶯」等は「字音假名遣改定ト同一ノ趣旨ヲ以テ速ニ之ヲ整理スルノ必要ヲ認メ同時ニ曩ニ定メタル字音假名遣ニモ統一上更ニ多少ノ變更ヲ施スヲ可トシタリ」とある。

 


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