羅馬字書方調査報告及び時事新報社説   (四の20)

   明治三十三年十一月五日、文部省は「羅馬字書方調査報告」を官報に掲げた。その調査委員は、上田萬年、磯田良、大西祝、神田乃武、蘆野敬三郎、金子銓太郎、小西信八、藤岡勝二、高楠順次郎、湯川寛吉、渡部董之介の十一名であつた。それはタ行を「ta、ci、tsu、te、to、ca、cu、co」、ハ行を「ha、hi、fu、he、ho」、ザ行とダ行を「za、zi、zu、ze、zo、ja、ju、jo」「da、ji、zu、de、do、ja、ju、jo」と綴る日本式とヘボン式との妥協案である。また本案の特色はなるべく字數を少なくしようといふことにあり、kwa、gwaの音は認めず、撥音は常にnで表はし、ウ列の母音uは時によつて省いてもよいといふやうなものであつた。本案に對し、大阪毎日・國民・日出新聞をはじめ中央公論・太陽などの雜誌にも反對論が發表され、結局實施するまでには至らなかつた。

  同三十三年十二月二十日、時事新報は社説で「先般文部省が假名の使用法竝に漢字の節減法を定めて之を世に公に」したことを英斷であるとして贊成の意を表したのは、それで滿足したからではなく、最終の目的は漢字を全廢して、假名かローマ字を採用することにあるとして、最後を「從來の元老内閣ならんには之を促すも全く無益の沙汰なれども幸にして今の閣員中には文明の教育を受けたる文明後進の士に乏しからざれば或は識者の見を容るゝの明ある可し   我輩の敢て望を屬する所なり」と結んでをり、内閣さへその氣になれば、簡單に國字を假名・ローマ字化することが出來るといふわけである。

 


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