菅沼岩藏の改良論 (三の30)

  明治二十八年十二月、菅沼岩藏は『文字文章改良論』を刊行した。菅沼は「文字文章改良の必要」とその困難とを力説し、「文章改良の順序及び假名獎勵案」において

  * 文字改良の第一段は假名漢字をして兩立せしむるにあり、之を名けて振假名文と云ふ。其の第二段は假名にて間に合ふべき言葉は成るべく假名にて之を綴るに在り。之を名けて假名獎勵主義の文章といふ。此の文章より縱書きの假名文に進み、縱書きより横書きの假名文に進まむ。之を文字改良の最も安全なる方法と爲す。

と論じてゐるが、菅沼の終局の目標は横書きの假名文にはなく、「予は新國字を以て改良文字の理想とするに拘らず、其の階梯として假名の會の再興を贊成せんと欲するなり」と述べてゐることからも知られる通り、新國字にあるわけである。ただ假名文を「新字實行の前に我國文の是非とも踏まざるべからざるの段階」と考へてゐるに過ぎない。そこで菅沼は新國字の見本を提示してゐるのであるが、その活字體は片假名と平假名を混ぜたもので、筆記體はローマ字の筆記體を變形したやうなもので、幸ひにして、數多くの新國字と同樣全く實用される氣遣のないものである。

  翌二十九年には、殆ど見るべき議論はなく、上田萬年が十一月に「初等教育に於ける國語教授に就きて」と題して、國語調査機關を設立すべきだといふ講演を、國家教育社において行つてゐるだけである。なほ、上田は翌三十年一月、同趣旨の「國語會議に就きて」を『教育時論』に發表してゐる。

 

 


閉ぢる