岡田正美の「國字論」 (三の29)

  岡田正美は明治二十八年十月より三囘に亙り『帝國文學』に「漢字全廢を論して國文國語國字の將來に及ふ」を發表し、改良平假名を提唱した。岡田はその「國字論」において、自分も音字を支持する者であるが、舊ローマ字派にも新ローマ字派にも反對であると述べ、次いで木村鷹太郎の改良片假名に反論を加へた後、自分は「現用の平假名を(改良すべき必要あらば改良して)採りて我國字とせんとするものなり」と平假名説を唱へ、「新作の要あるはまづ諸種の父音、次に諸種の拗音、次に諸種の本濁音、次にpの諸音、ngの諸音、vの諸音、lの諸音、撥音、尾撥音、促音、延音、長音、接呼音、等諸種の音韻をあらはすべき假名どもなり」として、各々について、丸を假名文字の左肩につけたり、點や棒を右下につけたり、或いは右肩につけたり、横に棒を引いたりして、實例を示してゐる。

  また平假名そのものについては「強て強て改良すべき必要はなしと思ふ」が、(一)字畫を今少し減少すること。(二)字々の連續を今少し容易にすること。(三)一字に數體あるを去ること。(四)字を今少し Inertia の法則に叶へしむること。以上の四點は改良を要すると言ふのであるが、平假名の字畫を今少し減少するとどういふことになるのか、またその必要があるのか、理解に苦しむことである。

  更に「結論」における漢字全廢の手順について述べた文中に「法令の力を借りて」とか、「之を使用するを禁止し」といふやうな文句が見られるが、ある特定の個人又は團體にとつて便利であるからといつて、法令の力を以てそれを國民に強制すべきものではない。またローマ字でも、改良平假名でも、各自の趣味に應じて日常生活に使用するのも結構であるが、ただあまり一般的でない文字を使用すれば、傳達の用を便じないだけのことである。岡田は「愚案新假名字表并に書寫例」なるものを掲げてゐるが、文字通り「愚案」と稱するに足るものである。

 


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