清水卯三郎の建議書と井上毅の「問目一則」 (三の21)

  明治二十三年、清水卯三郎は「くさむら の たみ しみづ うさを、つゝしんで、 もり もんぶ の おとど に まうしあげる」といふやうな建議書を森文部大臣へ提出した。清水は「からことば にて、みくに の みかど を いはひ たてまつる に は、 いみじく いまゝしき こと」であるとし、「くにたみ の みゝ に いりやすく けういく の てたて も」たやすい「みくにのことば」を主張してゐるわけであるが、右の文章は、明治七年の「平假名ノ説」の主張を實行に移したものである。その特徴は平假名を用ゐるといふだけでなく、漢語を排斥して殆ど和語だけで文章を綴つてゐることである。清水がいかに熱心であつても、殘念なことに、和語だけで文章の書ける者は極く少數に過ぎないのである。右の文中にも「けういく」といふ漢語がはひつてゐるが、和語のみで高度の思想を表現することは不可能である。

  明治二十五年文部大臣に就任した井上毅は、二十六年「問目一則」と題する一文を草して、帝國大學文科大學等に諮問した。井上は「我が假名は一字一音をなす故に反切法を學ふの煩勞なきはいかに外國に秀てたるめでたき簡便の文字ならすや」と、假名を賞讚し

  * 今字音假名遣ひを普通教育に用ゐて少年にその栞を學はしむるの可否は教育家の打ちすておくべきにあらざる問題なり

     何故に樣又は要用の漢字をヨウエウ又ヤウと假名にて書くか漢字よりも易きに由るなりさるを樣ならはヤウとし要ならはヨウとすべしといはゝ漢音漢字を知る人ならてはわけかたきわざなりさる人は幼少より樣又は要用の眞名を書くこそ易かるへけれ假名に書くの必要はあらし

  と、字音假名を改訂する必要のあることを論じてゐるのであるが、井上の言ふ通り「樣又は要用の眞名を書くこそ易かるへけれ假名に書くの必要はあらし」、入門期から漢字で教育すれば、字音假名遣を改訂するにも及ばぬわけである。漢字は一般に考へられてゐるほどむづかしいものではない。

 


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