國字改革運動の衰退 (三の16)

  一時非常な勢で進展するかに見えた國字改革運動も、二十二年頃から急速に衰へはじめ、二十五年には全く運動が停止してしまつた。國字改革運動はもともと甘い見通しのもとに行はれたものであるから、現實に直面して何らなすところなく終つてしまつたのも當然なことと言へよう。學問的な考察を缺いた淺薄な理論を以て現實を動かさうとしても無理なのである。このやうに國字改革運動が急速に衰へた原因の多くは、改良論そのもの、改革運動そのもののうちにあるのであつて、その原因を外部に求めようとするのは見當違ひである。國字改良論者がその點を深く反省せず、原因を他に求めようとしてゐる限り、何時になつても社會を動かす有益な力とはなり得ないであらう。改革運動の衰へた原因の一つに、會の會計を受け持つてゐた男が、會費を費ひ込んで逃げたといふことも擧げられてゐるが、さういふ人間を含んでゐる會がつぶれるのはむしろ當然と言ふべきである。その男が原因であるよりも、さういふ男に會計を任せねばならぬやうな會そのものに原因があるのである。深い考へもなく入會した會員がいかに多いことか、國字の改革を意圖してゐるのは一部の幹部だけで、中にはただ外國の文字をおぼえたいと思つて「羅馬字會」の會員になつた者もある。ここにおいて國字改革論者は深く反省すべきであつたにも拘らず、極く一部の者を除いては、今日に至るまで何ら反省した風はなく、以前にも増して狂信的に己の考へを國民に押しつけようとしてゐる。その後の國語國字改革運動はより惡質になり、機會ある毎に、學校教育にまで運動の手を伸ばし、政治的な力を利用して自分達の主張を實現することに躍起となつてゐる。

 


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