分ち書きの問題 (三の9)

  漢字を制限するか廢止しようとすれば、當然そこに分ち書きの問題が起つてくる。先づ明治十七年十月十一日「かののくわい」で分ち書きの問題が取上げられ、助詞の「は、を、へ」などを續けて書くか、離して書くかの討論が行はれた。採決の結果は、兩説とも十五名づつの同數となり、なほ研究を重ねるといふことになつた。助詞だけに限つても意見の一致をみるのはむづかしい。その日の議論で、清水卯三郎が「ははは ととと をを にに つくりて はちのへへ ゆく」と書いたのでは讀みにくいから「はは は とと と を を に に つくり て はちのへ へ ゆく」と助詞を離して書くことを主張すると、これに對し宮崎蘇庵が「こ の こ と あ の こ と わ が こ と は、とも に がくかう に ゆく」と書いて讀み易いかと言つて反駁してゐる。助詞をつけて書かうが離して書かうが、どちらにしても讀み易いものではない。このやうな笑ひ話の種にしかならぬ低級な議論を、大眞面目にやらねばならぬのは、漢字を無理に排斥しようとするからである。

  一方、「羅馬字會」の發表した「羅馬字にて日本語の書き方」(十七條)によると、「は、を、が、にて」などの助詞は離して書き、「動詞のみに附屬して、ほかの詞に附屬せざる助詞」は動詞につけて書くか、「ハイフンを以て動詞より分つ」としてをり、これに對する田中舘愛橘の案は、名詞のみ助詞を離して書き、他の名詞より轉じた用言及び動詞には助詞をつけて書くといふものである。

  いづれにしても、分ち書きの問題は簡單に解決できるやうな性質のものではなく、誰もが納得できるやうな名案を作ることは不可能に近い。假に規則を決めたとしても、それを實行することは容易ではない。結局各人各樣に分ち書きをする以外に手はないやうに思はれるが、さうなると、しばしば文章を讀み誤り、笑ひ話や悲劇の材料が増加することは間違ひない。

 


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