有栖川宮の挨拶 (三の2)
明治十六年十月七日「かなのくわい」の會長有栖川宮は神田學習院に會員を招き、「み
ふせう には あれど」この會の會長を「いなみ
も せず うけひきたる は そもそも おもふ
こと あれば
なり」と述べ、次いで假名文字が世間一般に行はれるやうになつたならば、教育の方面ばかりでなく
* ちう かう
じんぎ れいぎ の をしへ も さらに
ふかく くにたみ の こころ に いらん
ちしき はつめい の こと も いよいよ
あまねく よ に ひらけ ゆかん いはんや
みくに の ことば を うつす に みくに
の もじ を もて せん こと だうり
と いひ べんり と いひ とかく の
ろん の ある べき やう なく
まして この おほ みくに の この
せかい に たちて の めんもく これ に
すぐる こと や は ある いでや みくに
の ため に くにたみ の ため に
この こと を つとめん この わざ を
おしひろめん これ わが せち に こひねがふ
こと に こそ
と結んでゐる。漢字は外國の文字で、我國の文字ではないと言ふなら、我國には文字はないことになる。それとも「みくに
の
もじ」とは神代文字のことを言ふのであらうか。前にも述べた通り、日本固有の文字を追放して、漢字を用ゐたわけではなく、日本の文字は漢字から始まるのであるから、日本に文字があるとすれば、それは漢字のことであり、假名文字にしても、國字(峠、俥など)にしても、その漢字から派生したものに過ぎない。その源を糺せば、殆どの國が借用文字を用ゐてゐることになるのであるが、その故にその文字を排斥するやうな愚かなことをしようとはしない。既に漢字は立派に日本の文字となってゐる。そのことは日本の歴史がはつきり物語つてゐる。
その間、イビー(C.S.Eby)は明治十五年七月、『六合雜誌』に「羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ説」と題して、ローマ字國字論を發表、同年九月に,田鎖綱紀は國語速記術を發表してゐる。また明治十六年七月「いろはくわい」より、辻敬之の『ぶん
の かきかた』が刊行された。