三 國語国字改革運動への展開

「かなのくわい」の結成 (三の1)

  發音式假名遣を主張する「いろはくわい」が成立したのは明治十五年の夏であるが、二、三年前からその準備が行はれ、肥田濱五郎、丹羽雄九郎、後藤牧太、三宅米吉、小西信八、辻敬之、中上川彦次郎など主に師範出身の教育関係者によつて會が組織された。

  また「いろはぶん會」が結成されたのも同十五年の夏であり、その結成に當つたのは、發音式假名遣を主張する主に慶應義塾出身の實業界に關係ある、波多野承五郎、本山彦一、渡邊治、高橋義雄、伊藤欽亮などであった。その後「いろはぶん會」と「いろはくわい」は合併して「いろはぶん會」となつた。

  更に同じ十五年七月に歴史的假名遣を主張する「かなのとも」が成立した。この會は、十四年秋から、高崎正風、吉原重俊、有島猛、西徳二郎などが準備を進め、これに丸山作樂、近藤眞琴、物集高見、大槻文彦、福田美靜などが加はつて出來たものである。

  翌明治十六年三月、「かなのとも」は趣意書を發表して、諸團體の大同團結を提唱した。更に同年五月、同會は『かな の みちびき』を發刊、第十三巻まで發行し、後『かな の しるべ』と改題した。

  明治十六年七月、これ迄に結成された假名文字團體の大同團結が行はれ、「かなのくわい」が組織された。十八日の「おほよりあひ」において、會長には有栖川宮威仁親王が、副會長には吉原重俊、肥田濱五郎、幹事には高崎正風、丹羽雄九郎が就任した。

「かなのくわい」には、雪、月、花の三部があり、その規則第四條に「會中ニ月雪花ノ三部ヲ置ク 月ノ部ニテハテニハ假名遣ヒヲバ從來ノ格ニ從ヒテ記サントシ雪ノ部ニテハ從來ノテニハ假名遣ヒヲ改ムル所アリテ記サントシ花ノ部ニテハ五十音ノ原ヲ正シクシ假名文字ノ數ヲ増サントス」とあるやうに、それぞれその主張を異にしてゐた。ただその目的とするところは、その規則第一條に「我ガ國ノ學問ノ道ヲ容易クセンガ爲メニ言葉ハ和漢古今諸外國ノ別無ク成ルベク世ノ人ノ耳ニ入リ易キモノヲ擇ビ取リ専ラ假名ノミヲ用ヒテ文章ヲ記スノ方法ヲ研究シコレヲ世ニ擴メントスルニアリ」とあるやうに、假名を以て國語を書き表はすといふ點において一致してゐた。


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