矢田部良吉のローマ字論(二の18)

  翌十五年四、五月の『東洋學藝雜誌』に矢田部良吉は「羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ説」を發表し、先づローマ字の綴方を定め、この解説書を作成して、小學校でローマ字教育を行ひ、ローマ字の普及を圖るべきだと圭張した。その論文の最初に「我邦現今用フル所ノ文字ハ之ヲ學フコト甚タ難ク、之ヲ運用スルコト亦易カラサルハ、吾人ノ熟知スル所ナリ」とあるやうに、當時國字は非常にむづかしいものだといふ考が支配的であり、隨つて當然文字を改良せねばならぬといふ結論に至るものと考へられてゐたため、漢字漢語を何故廢止せねばならぬのか、その點を深く考究したものは極く稀である。矢田部は、假名を採 らずローマ字を採る理由を次のやうに説明してゐる。

     * 假名ハ其用法二種々ノ習慣アリテ、學者ハ貴重スト雖モ、常人ノ目ニハ甚タ錯雜ナルモノニシテ、縦ヒ之ヲ變ストモ、其宜シキヲ得ルニ難カラン、且夫レ假名ノ甚タ不完全ナルヤ、日本語ヲ綴ルニモ、時トシテハ甚ダ奇ナル、連接ヲ爲サヽル可カラス、且近來西洋ノ學術益々我國ニ入リ、隨テ洋語ヲ用ヒサルヲ得サルニ方リテハ、到底之ヲ以テ充分ノ綴合セヲ爲ス能ハサルハ論ヲ俟タサルナリ

     * 夫レ羅馬字ハ、方今文明諸國ノ共通スル所ニシテ子音ト母音トヲ分析シテ作りタルモノナルカ故二、人ノ音聲ヲ表示スルコト甚タ自在ナリ、其用法各国ニ於テ小異ナキニアラスト雖モ、其大意ハ皆ナ一轍ナリ、此レヲ取テ日本語ヲ綴ルトキハ、後來我文字ノ、文明世界ニ普及スルノ便ヲ得ルノミナラス、近來盛二西洋ヨリ移シ來ル、諸學術上ノ語ヲ飜譯スル如キ、難事ヲモ避ルコトヲ得ヘシ

  矢田部は學術用語などは飜譯しないで、そのままの綴りで採入れようと言ふのであるが、さうなると日本語は相當混亂することにならう。漢字、平假名、片假名などを合せ用ゐても、いろいろと不都合な面が出てゐるのに、「靑」が、ao(awo), blue, bru, bleu などと五樣にも六樣にも表記されるやうなことになれば、單に混亂を生ずるだけでなく、餘程學識のある者でないと理解できなくなるであらう。そのためか、最近のローマ字論者の中には、外國語をそのまま採入れることに反對してゐる者が多いのであるが、一方に採入れたいといふ者が存在する以上、ローマ字に國字を改めたならば、外國語がどんどん侵入してきて、大混亂を惹起することは目に見えてゐる。


閉ぢる