福澤諭吉の主張 二の10

 
 既に假名及びローマ字國字論、更に森有禮の英語國語論について述べたが、さういふ急進的な意見と趣を異にした一種の漢字制限論が、明治六年八月、實利主義を唱へた福澤諭吉によつて主張された。福澤は『文字之教』三冊を著はし、その『第一文字之教』の端書で漢字制限論を唱へると共にそれを實行した。

  * 一  日本ニ假名ノ文字アリナガラ漢字ヲ交へ用ルハ甚タ不都合ナレトモ往古ヨリノ仕來リニテ全國日用ノ書ニ皆漢字ヲ用ルノ風ト爲リタレバ今俄ニコレヲ廢セントスルモ亦不都合ナリ 今日ノ處ニテハ不都合ト不都合ト持合ニテ不都合ナガラ用ヲ便スルノ有様ナルユへ漢字ヲ全ク廢スルノ説ハ願フ可クシテ俄ニ行ハレ難キコトナリ 此説ヲ行ハントスルニハ時節ヲ待ツヨリ外二手段ナカル可シ

  一   時節ヲ待ツトテ唯手ヲ空フシテ待ツ可キニモ非ザレバ今ヨリ次第ニ漢字ヲ廢スルノ用意専一ナル可シ 其用意トハ文章ヲ書クニ。ムツカシキ漢字ヲバ成ル丈用ヒザルヤウ心掛ルコトナリ。ムツカシキ字ヲサへ用ヒザレバ漢字ノ數ハ二千カ三千ニテ澤山ナル可シ 此書三冊ニ漢字ヲ用ヒタル言葉ノ數。僅ニ千ニ足ラザレトモート通りノ用便ニハ差支ナシ。コトニ由テ考レハ漢字ヲ交へ用ルトテ左マデ學者ノ骨折ニモアラス 唯古ノ儒者流儀二倣テ妄二。難キ字ヲ用ヒザルヤウ心掛ルコト緊要ナルノミ、故サラニ難文ヲ好ミ其稽古ノタメニトテ。漢籍ノ素讀ナドヲ以テ子供ヲ窘ルハ。無益ノ戯ト云テ可ナリ

  以上はその端書の前半に當る部分であるが、福澤の意圖するところを理解するには十分である。これによつて見れば、漢字制限論とは言つても、「漢字ヲ交へ用ル」も不都合なら「俄ニコレヲ廢セントスル」も不都合であるから「ムツカシキ漢字ヲバ成ル丈用ヒザルヤウ心掛ルコト」が緊要であるといふのであるから、ごく消極的な論であつて、決して一部の者が宣傳してゐるほど、積極的に漢字制限を唱へたものでないことが解る。隨つて、ここで一應漢字制限論と言ってはみたものの、「制限論」と呼ぶのは適當でないやうに思はれる。何故ならぱ、福澤の言ふやうに「ムツカシキ漢字ヲバ成ル丈用ヒザルヤウ心掛ルコト」は今日では當然のこととされてゐるし、誰も故意に「ムツカシキ漢字」を用ゐようとしてゐる者はゐないし、誰もがさう心掛けてゐるとしたら、福澤を含めてすべての者が漢字制限論者といふことになるので、假にさういふ名稱を與へてみても、それは全く意味のないことであるからだ。この福澤の意見は、個人の心掛けの問題としたところに意味があるのであり、それだけにまた有益な論と言ふべきであるが、文部省訓令とか告示とかによって、半ば強制的に、筆者の意思に反してまでも一定の表記法に改めようといふやうな論とは雲泥の相違である。

  ところが一部には福澤の名をかたつて、無知な人達を味方に引入れようとしたり、故意に福澤の文章を切断し、自分達に都合のよいやうな宣傳をしてゐる者すらあるが、福澤の主張は決して表音主義者にとつて有利なものではない。


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